前号でご紹介した週刊ダイアモンドの特集による幸手市の貧乏度全国第二位は2040年の予測値です。その表記をうっかり忘れてしまいましたので、驚かれた読者もいたかと思いますが、たとえ27年後のことであっても、その原因、要素は今からの流れにあるはずです。
それは幸手市だけの特有なものもあるでしょうし、また地方都市に顕在化する解決困難な問題もあるかもしれません。
いずれにしても、この予想通りにならないためには、今からしっかり対応していかなければ手遅れになる可能性が高いし、深い考察と対策が必要だと思います
だいたい、たとえば区画整理とか再開発事業のような大きな街づくりには、15年、20年という途方もない年月がかかります。まさにこれこそが次世代のための郷土愛が為せるものですから、「今の人たち」がしっかり対応していかなければいけません。
そして、それらを実行するにあたって忘れてはならないのが、財政の健全化です。無理、無駄、無良を徹底排除する。これが基本ではないでしょうか。
記事一覧
No.2339 貧乏度について
No.2337 惜別・・・遠くにありて思ふ友
30年来、互いに言葉を必要とすることのないほど理解し合っていた「友」が昨夜、生まれ故郷に戻って行った。薩摩へ。鹿児島というよりは、この地名のほうが、彼には似合うと勝手に思っている。
互いが32歳の時に、同僚という関係から始まった付き合いだったが、まさに親友! 生涯の友という表現しか思いつかない相手だった。酒を呑み、興に乗った時には饒舌になることもあったが、どちらかといえば、寡黙な友だった。一緒にいると心のなごむ、なごませてくれる友だった。
ある事象や物事に独特のこだわりを見せ、信念意思は人一倍強いものを感じさせたが、自己理論に固執することなく、しっかり相手の言に耳を傾ける心優しい、寛容な友だった。自らの好みを人に強制することもなかった。たまに出す小さな我儘がとても可愛く感じる男だった。
よく呑んだ。それこそ若さが有り余っていた時代は、週に4日は呑み歩いていた。我々2人を中心に多くの友が集った。彼は、常に私に一目置いてくれたが、人の見る目は、私が彼をたよっている付き合いだったかもしれない。
新聞によく目を通すタイプで、社会や政治を正面から見据える一面が若い時からあった。根本的にまったくタイプの違う同士だったが、この点はよく似ていた。私が先に退職し、今の立場になってからも、ポツリと語る彼の一言にどれほど支えられたことか。
県内ふじみ野に居を構えていたことから、時折大宮近辺で合流し、互いに好きなサウナに入り、一献傾けるという日をどちらかともなく誘いあった。そろそろ会いたいなと感じるサイクルが一緒だった気がする。あまり肴をつままない常に痩せていた友が心配だったが、大病もせず丈夫な点も一緒だった。
私が県議になってから、会う機会がめっきり減り、忙しいことを案じて電話やメールを遠慮している彼の気持が深く理解できる日が続いた。
ひとつのケジメが来たことをこれほど強烈に感じることはない彼のUターン。
昨夜故郷に着いた頃に携帯メールしたが、兄貴宅にひとまず落ち着いたとのことだった。そばにいつもいる安心感が寂寥感に変わった日。
遠くにありて思ふ友。ずっと元気でいて欲しい。
呑み過ぎるなよ! もう一回下手なゴルフに付き合いたかった・・・。
涙が止まらなくなってきた。このへんで・・・。
No.2335 リタイア・モンスター
この言葉、私の友人が発したものですが、その意味を問うとなかなか言い得て妙な造語だと感心した次第です。世にモンスターの名がつく例は少なくありません。モンスター・ペアレンツなどはその代表的なものだと思いますが、新造語の域を脱した今は、さほどの新鮮さは感じられなくなりました。おそらく社会的に認知された例だろうと考えられます。
リタイア・モンスター・・・・長いサラリーマン生活を勤め上げたものの、まだまだ元気な人はたくさんいます。再雇用や別世界に身を置く例も少なくはありませんが、一定の年齢でフリーの状態になった方が、世のため人のためと考えた結果、地域の自治会活動でそれまでは奥様に任せていたものを、自らが役員として参加するようになる例も多いようです。また、各種クラブやボランティア活動などに汗を流すパターンもあるでしょう。
友人が曰く、社会的にもある程度の地位にあった方たちが、集会の協議話し合いの場で、回を重ねるほどに発言の度合いを増し、徐々に積極的な発言をするようになる例が多いというのです。ところが、それはご本人は建設的な意見や発想の転換を訴えているつもりでも、実は必ずしもそうではなくて、かえって混乱に拍車をかけているというのです。
確かに、そういうことは十分考えられる話です。本人に悪気があるかないかは問題ではなく、自己発言に酔ってしまい、他者の意見に耳を貸せなくなってしまうタイプはどこにもおります。それが、歳が歳だから丸くなっているかというと、けっこう協調性に欠けるきらいのある人が少なくない。
ということで、このリタイア・モンスターなる言葉が定着するかどうかはわかりませんが、そのレッテルが貼られないように気配りのススメを実践し、絆を深め、団結力を高める存在を皆がめざせばいいと思うのですが・・・・
簡単そうで簡単ではない? そうかもしれませんね。
No.2332 潘基文国連事務総長
近頃来日した国連事務総長が橋下発言を批判。この批判という意味合いの評価はこの立場の人の言葉として考えると賛否分かれるところかと思う。しかし、日本の政治家の靖国神社参拝までをも批判の対象にしたとなると事情は別だ。その内容が「周辺国に否定的な反応を引き起こしている。日本の政治指導者はことのことを自覚すべきだ」
自国のために戦った英霊を称える施設は、戦争を経験した国であればどこにでもあると思う。靖国参拝はただただそこに大きな意義があるのであって、他の理由を持ち出してその行為を批判するのはまったく遺憾な話ではないかと思う。総長の言う周辺国とはほぼ限定できるわけだが、それらの国々の指導者たちこそ、この数十年日本からどれだけの支援を受けているかの自覚が不足しているのではないだろうか。
日本はいつまでこの呪縛から解かれるのだろうか。これは大方の認識するところだが、東南アジアいわゆるASEAN諸国は日本に感謝の念を抱いている国がほとんどである。
日本では言論の自由が行き届いているので、マスコミにも反日的報道を主流にする部分が少なくない。それに影響を受ける国民も少なくないだろう。逆に、中国などは自国を批判するものはマスコミであれなんであれ容赦なくカットする。時には反逆家として逮捕することさえあるではないか。著しく民主化を無視した国家体制を維持し続けている国だ。
ひどいことには、今でも日本の兵隊が人民を拷問にかけている絵図などが教科書の記載にあるといい、これらは増幅しているとも聞く。日本では教科書ですら誇張、捏造の内容を記載するものもあるのだから、まさに自虐的な状態と言える。
また、在各国の中国人や韓国人系の政治家や財界人は、日本バッシングが目的であるかのように、従軍慰安婦問題をはじめとして、大戦における日本の贖罪を喧伝するロビー活動に励んでいる。日本人は、まずこうしたことはしない民族だ。いや、できない人柄と言えるのかもしれない。
ところが、黄色人種国の民族性の違いを理解できない欧米諸国は、こうしたロビー活動にマインドコントロールされ、時を経るうちに、いつしか日本のイメージが歪んだ形でインプットされることになる。現実に今そうなっている。
こうしたことについて事務総長はどう思うのか。ぜひ聞いてみたい。
私たち日本民族の気質特性というか日本人気質について、世界に伍していくには、何が今必要なのかをあらためて考える時期に来ていると思う。
国連事務総長の発言は重いが、素直に受け止められないことも事実だ。それが中国や韓国が事あるごとに使う内政干渉ともいえるからか、それとも彼が韓国人であるがゆえかは断定できないが、私は国連事務総長が言うべき内容ではないと思っている。
No.2331 虐待
先週、耳を疑うような暗いニュースに接した・・・「虐待」
県議会の場でもたびたび取り上げ、私にとって、今の社会で最も憂慮する出来事となっている虐待が埼玉県内で発生した。鴻巣市で実子虐待、春日部市で高齢者虐待。後者は2010年に4日間で3人の死者が出ていた。78歳から95歳の女性がその被害者である。
このニュースは関西方面に委員会の視察研修で出張していた時に入った。関西の新聞でも社会面4分1程度を使ったトップ記事の扱いだった。報道各紙を読む限り、事件当時26歳だった容疑者の採用時点から問題があったことがうかがえる。医師でもある理事長や施設長によると「逮捕者が出て驚いた。すぐに通報しなかったのは疑いの段階ですべきではないと判断した。疑わしいままの家族への説明は適切ではないと考えた」
この説明になるほどと思う人がいるだろうか?と思うのだが・・・。
結局、3人は心筋梗塞や脳梗塞などの診断で、解剖されることもなく荼毘にふされていた。
当時の勤務者全員が「虐待を見聞きしていない」と回答していた。
県も3人目の死者が出た4日後に立ち入り調査をしていたが、「死因に不審性はない」とする嘱託医の説明で、それ以上の判定が出来なかった。
怒りのぶつけどころに困る事件概容だが、これはまさに凶悪殺人事件と表現すべき虐待事件ではないだろうか。80、90になる高齢者の胸や顎を殴ることなど普通出来ないと一般常識的に考えるところに落とし穴があるということか。
埼玉県では、行政通報があり、虐待と判断したケースでの高齢者虐待は例年650件程度の範囲であるという。在宅介護での子どもなどによる近親虐待が多く、この場合の通報は少ないということなので実態はまだまだ奥が深いようだ。
反対に児童虐待もあとを絶たない。鴻巣市の場合、39歳になる父親が生後35日の次男の頭を叩きつけ、揺さぶり、低酸素脳症で死亡させたというもの。
児童虐待は、通常子どもは叱られる内容に疑問を持つなどということは少なく、怒られる恐怖感よりも、親から見放される恐怖感が優先する場合が多く虐待を虐待と自己判断できないという。そういうものかと感じはすれど、なんとなく釈然としない。
長男2歳、長女1歳の家庭、しかも2010年6月から生活保護を受けており、当初は産婦人科受診もしていなかったという容疑者かつ被害者の家庭事情。市では養育支援が必要と定期的に訪問していたという。
つまり、生活保護を受けている状態で3人の子どもが出来た・・・生活保護家庭に子どもを作る権利が無いとは言わないが、毎年続けて3人となるとどうだろうか。労働意欲を見せない39歳の世帯主の問題もあるだろうし、女性が外に出て働くことのできる子育て支援は?と思うところもあるし、こうした場合の福祉行政のあり方は難しい。
日本ではこうした場合、貧困家庭として優先的に弱者救済施策を構築するべきとする思想を唱える傾向が政治的にもある。
親の責任とはなんぞや? 子育ての義務と責任は人の道だが、その自信と確証がなければ作らない選択も人の道なのではないだろうか? どうにも難しく悩ましい事例ではある。
生まれ出でた子どもには生ける権利があり、元気に育ってほしいと願うのは当たり前のことだ。
No.2326 自民党清和会政策研究会
すでに一昨日のことになりますが、自民党の清和会政策研究会が東京プリンスホテルで開催されました。少し、早めに出かけたことから、東京タワーを見学することにしました。家族で出かけて以来、30年ぶりぐらいになりますが、平日の割に見学者が多いなあと感じました。外国人が多いのは意外でしたが、250メートルの高さからスカイツリーを見るというのも、また別の面白さがあると感じた次第。
さて、主題です。清和会政策研究会は、来賓の山口公明党代表の感想では、昨年と比べて参加者が断然に増えたそうです。確かに会場は熱気ムンムンの状態であふれかえっていました。
我が幸手市の三ツ林裕巳衆議院議員が同会の会員ということから、私も参加させていただいたわけですが、時の総理も名を連ねる同会ということで、立錐の余地もないといった会場に、あらためてアベノミクスの盛り上がりぶりを感じました。
ましてや、前号で書いた内容が、ある程度推測に近いものがあるとすれば、相変わらず70%台の支持率を誇る安倍政権の息吹は、経済再生だけではなく外交的にも大きな変化をもたらす予感がしている時です。
写真はそれぞれ、稲田朋美議員と、7月の参議院選の候補予定者となっている西田議員と三ツ林議員、そして素晴らしいオーラを放って帰った我が後輩?などと言えるお方ではなくなりました安倍総理。