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No.2695 誰の名誉と尊厳を傷つけたか?

2016.01.19

 今国会の予算委員会では、保守本流の議員の質問に見るべきものがあると感じている。先週金曜日の片山さつき議員もかなり専門的な研鑽研究をしていることが伺え、予算委員会の主旨をふまえた質問が多かった。後ろ向きな反政権論理に終始する野党の主張がむなしく聞こえてならない。元みんなの党幹事長だった水野賢一議員などは、すっかり重箱の隅を突く議員に変貌し、保守系論客だった姿からは程遠いイメージとなっていた。

 そして、昨日の参議院予算委員会では、拉致問題対策で長く活躍されている中山恭子議員が、先の日韓合意に関して口調は物静かではあるが、的を射たシビアな質問をされていた。ミニ政党なので時間は短かいものだったが、安倍総理も岸田外相もいささか答弁の歯切れは悪かったように感じた。

 中山さんの発言で「従軍慰安婦の名誉と尊厳を傷つけることのない合意というが、祖国の為に尊い命を大戦に捧げた日本人の名誉と尊厳はどうお考えか?」というくだりが心に響くものだった。
 逆に、世界各国が今回の合意に賛意と理解を示しているという岸田外相の言葉の説得性の無さには残念としか言いようがない。なぜなら、他国の反応は「お隣同士なんだからいつまでもいがみ合っていないで仲良くしたらいい」といった程度の第三者的な発想に過ぎないと感じるからである。そんな簡単に済ますことのできるこれまでの経緯ではないし、何をそんなに急いで合意する必要があるのかわからないほど、弱腰な合意であったことは間違いない。まして大切な税金まで使って! 

 軍が関与したという内容もいかがなものかである。もはや、世界のマスコミこぞっての「20万人の少女を性奴隷にした日本軍、日本兵」という捏造の報道により、日本のイメージが固定化されることへの責任は重たいものがある。
 総理も外相も、性奴隷という表現や慰安婦像の撤去に関しての申し入れを徹底するとは言うが、そうなると韓国側とくに一般市民の反日、抗日感情がまたまた黙ってはいまい。

 この合意に至る真実(と私は思っている)がネットでも確認できる。まんまと乗せられた今回の合意?が、今後どのような展開と影響を日本にもたらすであろうか。しっかり注視していく必要があるのではないだろうか。

No.2694 雨もいいですが、雪は・・・種々雑感

2016.01.18

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 雨音を聞くのは随分久しぶりのこと。毎夜、すっきりした星空を魅せてくれたのは嬉しかったが、多くの方はなんとなくほっとしているのではないだろうか。インフルエンザが流行しつつあるから乾燥状態が続くことは芳しくないし、暖かすぎるのも田畑にはありがたくないと聞く。
 しかし、雪・・しかも大雪情報が出ているのには恐れ入る。一昨年2月の埼玉西部を中心とした雪害が思い出される。積雪10センチ程度で首都圏トラフィックは混乱を極める。今、テレビが伝える予想は関東甲信50センチ。やれやれだ。雪に弱い首都圏は何年経っても大きな改善が為されない。
 明朝、窓の外は白じんで映るのか、早くも気が引かれる。
 

 スキーバス深夜の大事故は、未来多い若者の命を大量に奪った。メディアが事故の詳細と真相を探り伝えている。大きく変形したバスを見て、人的災害が起こるたびに思うことは、教訓としなければならないことが多いということだ。企画運行側の法律順守の指摘がまずは取りざたされるのは当然だが、運転手二人も経営論理の犠牲者と言える。
 シートベルトの装着も問題視されているが、あの屋根の凹みを見てしまうとどれほどの有効性があるものやら考えてしまう。逆にしていることでお腹を圧迫され続けるという状態に陥らないのだろうか。椅子が変形すればそういうこともあるのではないかと。いずれにしても、想像を絶する自滅大破にはなすすべがなかったはずだ。
 発着している深夜バスの本数対比で考えれば、事故率が多いというわけではないにしても、1台のバスで14名もの死者が出るというのは尋常ではない。昼間運行のバスで、運転手の具合がおかしいことに気づき、ハンドル操作に気転を利かして難を逃れたという事例があるが、寝込みが当たり前の深夜バスではそうしたことは不可能だろう。
 14名の皆様には慎んでご冥福をお祈り申し上げます。

 1月17日・・・阪神淡路大震災発生後21年。会社員時代の後輩女史からの寒中見舞いに「入社20年になりました」とあった。時代の前後というものは、まったく記憶と異なる面があって、そうだったかーという想いに駆られるが、あの大災害からそんなに経ったんだなーと、あらためて惨事を伝える場面の幾つかを思い出した。
 そして東日本大震災からはまもなく5年。自分の人生10大ニュースを選ぶとしたら、間違いなく対象となるこうした災害はいつまでも防災上の教訓としなければいけない。
 昨年が20年という節目だったせいか、今年は慰霊祭など神戸市内各地で行われた数が半減したそうだが、あらためて多くの犠牲者に対してご冥福をお祈りする次第です。

 台湾総選挙が民進党の大勝利で決着をみ、初の女性総統が誕生することとなった。民進党689万票、国民党381万票という大差であったが、同時に気になった点は、総統を選ぶ国民投票だったのに、投票率は過去最低だったということだ。内容的にはどうだったのか知りたいところだ。
 「真の民主主義の実現へ」という期待の言葉が街角インタビューで多く聞かれたが、はたしてどうか? 独立精神の高い民進党と言われるが、経済状況を考えると中国忌避政策に徹することは難しい。同時に行われた立法院議会選挙も113議席中68議席を得たことから強力な安定政権を実現できる形にはなったようだ・・・が、政治は一寸先は闇、多くの事象が複雑に絡み合って、直線的になんでも解決できるというものではない。蔡英文さんの舵取りにしばらくは注目といったところであろう。

 そして、まだ総統就任の5月まで時間があるにもかかわらず、すでに次の声明を発したという。「尖閣は台湾領である」と・・・民進党が政権を奪還したからといって、喜んでばかりはいられない状況と言える。なにしろ、あの李登輝総統とは異なる考え方が第一声に近い形で発せられたのだから。

 17日は三ツ林裕巳衆議院議員の賀詞交歓会が開催された。幸手、杉戸、栗橋、庄和地区からの来場者で会場満杯の中、代議士ご自身の元気な姿はもとより、地域に欠かすことの出来ない総合病院の充実に尽力されている様子が披露されるなど、来場者一様に納得された感じだった。途中、倒れた高齢の方がいらしたが、代議士自ら救急診断される姿が頼もしかった。ますますのご活躍に大きな期待が注がれる会となった。
 
 年が明けて、1月も早後半。今後、間違いなく寒さは増すこととなるでしょうから、インフルエンザに召されぬよう皆様くれぐれもご注意ください。

No.2693 久喜総合病院の新たな動き

2016.01.13

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 昨日から急に冷え込み始めた。朝晩との気温差に要注意だ。
 もっとも、暖冬などとありがたがっていると、後々いろいろな弊害が出てくるそうだ。冬は冬らしくないと。
 寒いと言えば、久喜総合病院の経営権をJA厚生連が譲渡するという、なんとも冷えた話が今日突然舞い込んだ。

 同病院はもともと幸手市にあったのだが、私が市議2期目に入ったあたりから久喜市への移転話が出始めた。きっかけは、久喜市長選の出陣式でいきなり久喜市側が披露し、来賓として着座していた町田幸手市長が驚いたという。
 幸手市議会では厚生連の経営陣を召喚し詳細を聴取するなど、合併からの流れをそのままに、市長派と反市長派に分かれての大論争が繰り広げられた。

 その最大の論点となったのは、厚生連から出された50億円の資金援助話だった。もともと経営母体は厚生連という民間であり、幸手市が運営に口を出す権限などなかったが、ここぞとばかりの反市長派の論理は、市民感情に訴える論法も含め「50億円を拠出してでもとどまらせるべきだ」の一点張りだった。実態や詳細のわからない市民からすれば、病院移転話は心理的に憂いの対象以外の何物でもない。移転に反対の署名運動が起こったのもそういった心理を反市長派の議員が誘引したものだった。

 ところが当時、2期目を迎えていた町田市長は市の財政はとても補助金を給付する余裕などないと突っぱねた。それは当然のことだった。1期目当選時の幸手市は、第二の夕張市になる可能性を問題視される財政状態だった。それを「選択と集中」「アクションプラン」「身の丈にあった行政」などのキャッチフレーズで、健全財政の回復を主眼に行財政運営に取り組んでいる最中の出来事だったのだ。

 第二の夕張論は数値でも示されていたので、おそらく、当時の市議全員がそれをわかっていたと思うが、その認識を表に出して市長を支える立場と、腹にしまったまま50億拠出を要求する立場とが熾烈にぶつかりあった。反市長派は病院を持って行かれたことを町田市長の汚点にしたいとする政争そのものだった。

 実際は、すでに久喜市と厚生連の話は出来ていたというのが事実であったと確信している。と云うのも、その時点ですでに、久喜市移転に係るマーケティング専門会社の分厚い資料が出来上がっていたのだ。
それでも市長責任を問う勢いが止まることはなかった。幸手市の議会、市民を巻き込んだ移転も、結局、平成23年4月1日に久喜市上早見での開院にこぎつけた。
 資金援助について久喜市は、平成19年から5年間にわたり約35億円の補助金を拠出している。50億円にまでは至らなかったものの一自治体が請け負う額としては高額なものであった。しかし、その開院からわずか5年で経営の肩代わりに至ったことについて厚生連の責任は問われてしかるべきである。隣街のことではあるが、東京理科大学の移転に続いての病院問題ゆえに、本年最初の久喜市議会は注目に値する。

 厚生連は熊谷市にも同様の病院があるが、それも肩代わり話があり、実は、久喜も熊谷も相手先は決まっているようだ。それについては、明日以降の新聞でご確認いただければと思う。

 大枚の補助金を受けながらも、厚生連は病院経営を安定化させることはできなかった。しかも新築での出直しで久喜総合病院として生まれ変わったのにだ。
 それにしても、50億円がたとえ35億円に減額されたとしても、あの時、幸手市が資金援助していたらどういったことになったやら。町田市長の判断が間違いではなかったということになろう。
 

 その後、今度はほとんど間をおかずに、町田市長は東埼玉総合病院の杉戸町から幸手市への誘致話をもたらした。すると今度は市長の手柄にさせてなるものかの議会論争が始まった。反市長派議員たちは誘致にあらゆる理由をつけて反対するのだが、市民の目があるので、その反対理論も巧妙だった。そこで、私たち誘致に賛成の市長派議員と市民有志とで誘致賛成の署名運動を始めることとなった。もとより、市民には歓迎ムードが多かったわけで、当時の人口の50%以上にあたる28,888名の署名が集まった。これには実際驚いた。かくして議員も多方が反対しにくい状況となったのだ。 

 今回の件は、いろいろな感慨が浮かぶ話だ。近隣住民もお世話になっている300床もある立派な施設ゆえ、引き受け先にはしっかり立て直してもらいたいと思う。

No.2692 なぜ埼玉に多い児童虐待!

2016.01.11

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 県内狭山市でまた児童虐待事件が起こった。3歳の女児がやけどをしたのに手当をせずに放置した若い夫婦。悲しいことにこの女児は亡くなってしまった。新聞が伝えるところでは、虐待が確定したようには書かれていないが、他にも数ヶ所のそれらしき痕跡が見られ、虐待の可能性の疑いもあるとなっている。こうした場合の夫婦のパターンとしては、内縁の関係にあるという場合が少なくない。つまり虐待を受けた児童からすると実父ではないパターンである。これは、あくまでも事例としてよくあるというだけであって、すべてがそうだと言うつもりはない。

 オブラートに包むかのような報道内容に、そんなもの虐待に決まっているはずだと憤怒するも、このあたりは刑法犯罪とくに冤罪が問われる局面が昨今の裁判事情にちょくちょくあるせいか、報道姿勢もとりわけ慎重だ。政治や芸能といった分野が対象となると平気で捏造したり、中立性を欠いたりするが、犯罪はそういうわけにはいかない。
 しかし、少年犯罪の対応などでは、いささか保護性が強すぎる気がしないでもない。18歳以下まで選挙権を下げるのもいいが、真の大人扱いをするのかしないのかはこうした部分にまでその見解を広げてもらいたいものだ。
 全国各地の荒れた成人式への評論で、大人に成りきっていないなどと発言するアナウンサーやキャスターが多いが、そんな簡単な見識だけでいいのだろうか。今回の女児死亡事件の実母は22歳、ということは成人前に亡くなった女児を出産していることになる。内縁の夫も24歳という若さであることを考えると、荒れた成人式の主役になった無軌道な大人?たちは、すぐにその年頃になるのだ。ニュースでは成人同士ですでに子どもがいる例もあった。いい親になってもらいたいと願わずにはいられない。

 それにしても、児童虐待事件はなぜ埼玉に多いのだろうか? 全国5番目という人口比率が影響している面があるにせよ、なんとも残念かつ不思議でならない。私も県議会でこの問題に対する解決の道には、まず縦割り行政を無くすことを強く求めた経緯がある。議員勉強会も提案し、実現した。 
 とは言うものの、見えぬ人心が見えぬように実行し、周囲もなかなかそれを指摘しにくい犯罪ゆえに、改善策を導くのが難しい問題である。

No.2691 合併への勧め

2016.01.09

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 当ブログも年が明けて13年目に入ったわけですが、近頃では100のアクセスを超える日すら少なくなりましたが、それでも忘れることなくアクセスしてくれる読者がいればこそ続けようという気概につながっているわけですので有難く感じているところです。
 そうした読者の方から時折いただくメールの中に、最近合併に関するものがあったので、これに関して今感じていることも含めて少し回顧してみようかと思った次第です。

 思い起こせば2003年、平成15年4月の市議選が、合併相手をめぐる在り方を争点とし、私は久喜・鷲宮との合併推進候補として初当選させていただきました。
 その後の議会は常にそれを主体に喧々諤々の議論していたことから、同年6月から始めた私のブログも、当時は合併に関わる内容がほとんどでした。

 初めて議員を経験する者としては、熾烈な議会運営と論戦の渦中にもまれながらも、今感じることは厳しかったけれど素晴らしい経験をしたという感慨が強く残っています。議会論戦も市民には見えないところも含めて感情あらわに罵るといった場面までありましたからねー。

 そうした状況において、現職市長のリコール運動が市民感情の結露として燃え上がり、幸手市の名がワイドニュースなどでも報じられることとなり、全国に知られるところとなっていったのです。
 このブログも当時は一日のアクセス数が1,000を超える日がけっこうありましたが、いろいろな意味で、当時のことのすべてがなつかしい思いとして残っています。
 
 
 今、政治的には地方創世が注目を浴び、人口問題研究所による消滅可能性都市が話題に取り上げられることが少なくありません。地方頑張れ!のエールと理解できなくもありませんが、そこには、どちらも合併を推進する論調は見られません。
 社会全般でどんな論説評論があろうがなかろうが、現在でも私は、街の状況によって合併は積極的に進めるべきとの考え方です。いただいたメールには杉戸、宮代との合併をすべきとの考え方も散見しますが、具体的な相手先を私が語るのは適切ではないと思っています。とは言いながらも、それほど合併候補が多いわけでもありません。
 

 平成12年頃から持ち上がった自治体合併は、徐々に国をあげての騒動と化し、どこの自治体と結ばれるべきか否かで、全国津々浦々で火花を散らしたものでした。その理由は、ひとつの街の東西南北の地域性が災いして合併希望相手先が複数化するということに加え、どちらが主権を握るのかという、言わば主導権争いが大きかったと思います。それは、議会のみならず住民感情にもかなり根強くありました。具体的には、財政状況や地域発展性や、さらには市政運営とは無縁と考えるべき新市名が合併成就を困難にするといった状況でした。

 合併の成立に対して、国が合併特例債という莫大な交付金を給付するにんじんぶらさげ制度も、かえって合併問題を難しくしていた部分があると感じているのですが、これは意見の分かれるところかもしれません。にんじんが合併意欲を増進させたことは間違いないのですから。
 かくして、その特例債に期限が設けられたこともあって、12~13年前は日本中が合併、合併で明け暮れていたのです。いわゆる、これが平成の大合併の所以でした。

 幸手市ではさらに複雑な事情があって、当時の首長が主張した相手候補が隣県の五霞町だったという特殊な状況にありました。その理由は生活圏が同じだということが最大だったわけです。それはその通りだと私も認識していましたが、合併成就には政治が大きな関わりを持っています。当時者自治体の議会の賛同に加え、住民の賛否を問う住民投票というハードルが待ち受けていました。その上で、隣県の自治体の場合は、さらにその県議会の決議も必要となります。
 私自身は、そのハードルを乗り越えるのは至難だと考えていました。その流れにおいて、合併市議選後の平成15年6月、9月議会では激しい論戦が繰り広げられる中、前述のように五霞との合併を進める市長のリコール運動が市民に広がっていくという他に例をみない事態にまで発展していったのです。
 9月議会の終わり間際には市長の辞職という事態にまでなったのでした。そして合併先をめぐる出直し市長選があり、久喜市・鷲宮町との合併推進市長の当選後も、久喜・鷲宮派と五霞派に分かれた議会論争は激しさを増し、それは市民間にも広がって行きました。

 こうした状況下で、私のブログは注目を受けることとなっていましたが、2チャンネルでは悪魔扱いの上、それはそれは低俗な表現で揶揄されたものです。
 また、ブログにご意見をいただくコーナーを作り、当初は賛成反対かかわらず紳士的な論調が多く、できる限り返信ブログを書くように心がけていましたが、段々と批判的内容が増え、もうそれは2チャンネルのような言葉の暴力コーナーと化し、公開出来る状況ではなくなり、やむ無くコーナー閉鎖に至ったのです。いわゆる炎上というものでした。
 

 とまあ、ここまで書きましたがはたして新たな合併があるや否や。巷に合併容認論はけっこうありますが、推進論までとなると、それを声高に発する人はほとんどいなくなりました。 

No.2690 年始年末の投げ込み異変

2016.01.05

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 元日から過ごしやすい陽気が続いている。はたしてこれでいいんだろうか?という気がしないではない暖冬異変だが、農業経営者の中には今後の天候になんとなく怖さを感じている方もいる。
 私も、四季折々が一定期間単位で区分されており、それによる北から南それぞれの地域ごとに日本独特の風土風景が構築されていることが、日本の素晴らしさだと思う。しかし、昨今の天候は人命も生活も一呑みにしてしまうほどの破壊力を見せつける。

 それとは無縁の異変ではあるものの、年末から年始にかけて我が家に小さな出来事が発生している。
 それは、幸手市のかなり以前の政治的疑惑を列挙したパソコン文字の紙切れやそれに関係する市議会の議事録の紙片がポスティングされたり、玄関前に置かれているのである。
 どんな意味をもっての行為なのか、私としても考えさせられるわけだが、私に何かを訴えたいのか、それとも、私が知らないだろうとの推測の上で教えたいという主旨なのか・・・。

 
 今になってこうした内容に目を通すと、一昔前の幸手市政の黒い部分の多さに辟易する。投げ込み当事者の思いを推測すると、今の市政との関連において注意を喚起する意味合いがあるやもしれぬというところに落ち着くのだが、いかがなものだろうか。
 先の市長選でも現市政の問題点が浮き彫りになったこともあり、実際、決算不認定というテイタラクな事態に特別委員会が設置されたことなどを考えると、濁りのない市政が進められているとは思えない状況にある。
 完成後は東武鉄道という民間会社の財産になる駅舎新築に、15億円以上の税金を配置することへの問題意識も市民の中にはかなり根強くあるのだ。

 話は変わるが、ここ数日耳にちょくちょく入る話として、昨秋叙勲を受けたある市民の方が、祝賀会を開く予定だとのこと。それはそれで祝い事であるからどうこう言うことはないのだが、場所が帝国ホテルで、発起人が市長だと言うのだ。少なくとも公人である市長が発起人というのが事実であるなら、個人的人間関係に過ぎないとは言い切れないだろうし、政治的配慮が為されていると理解すべきだろう。
 そもそも叙勲自体は市長推薦という中身を骨格として決定に至る制度であるから、推薦者が発起人という直接的関係は避けるほうが・・・とは思うが、余計なお世話でしかない。
 こうした話を私にする方々は、一様に驚きの感を示しながら話すのだが、さて皆さんはどうお感じになられるか。私は、別世界のことと考えるだけ、部外者の対応としてはそれが一番だろうと。
 ただ、私の身近な方の中にも叙勲者はけっこういらっしゃるが、大方は記念品を作るなど地味で落ち着いた祝いに修めているのがほとんどのようで、比較論からすると今時豪勢なことだとは感じるのはたしかだ。

 さて、今日5日の天候はまたまた晴朗のようだが、徐々に下り坂になるようだ。
 五穀豊穣、自然保護、生態系維持が良好な日差しと時折の雨水をなによりの恵みとしていることを思うと、天候というものは、よどみや濁りをもたらすドン天が巡り来ないと、地球も世の中も狂いかねない。
 そう考えたところで、我が家への紙片投げ込みは、金と人事に関わる政治は常に晴朗でなければならないということを、指摘したいのだろうかと思えてきた。
 

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