昨日、ずいぶんと久しぶりに県庁に出かけました。用向きにしたがって本庁舎を主体にあちこち歩くことになりましたが、出合う職員の中には一礼してくれたり、「お元気ですか?」と声をかけてくれたり、近況を互いに語るなど古巣の温かい空気に接しました。
用事を済ませ、駐車場へ向かう途中で、少し遠めのところから歩いてくる二人がおり、私に気がつくなり手を挙げて近寄って来るではありませんか。マスクはすれど私もすぐに誰だかわかりました。課長時代にお世話になった方々で、今や知事室長と環境部長の立場にあり、県の重鎮として精励しているお二人でした。このような再会は心底嬉しいものです。挨拶もそこそこに、ちょっぴり四方山話が・・・なつかしさと同時に自分の歴史の一端を思い出すことにもなり、心地よいほっこりした時間となりました。
古巣とはいえ戻る予定があるわけではないのですが、県庁で出会う人のほとんどから「今年はどうするんですか?」と聞かれました。これは地元でも同様で、私の状況または立場をその都度認識する日常となっています。まだまだこうした雰囲気が続くとは思いますが、県庁に出向いたお蔭で肩を叩かれたようで、スイッチオンのシグナルが高まったようです。さらにスロットルを上げていければいいのでしょうが、そうもいかない事情もあるので悩ましい日々が続きます。
記事一覧
No.3076 旧交あたたまる再会
No.3073 新元号談義
天皇陛下の御退位は寂しい思い以外の何物でもありませんが、世間では新元号への興味が徐々に増しつつあるようです。
4日の総理年頭会見で新元号は4月1日発表を明言されました。その前々日のこと、たまさか孫たちと楽しい家族談義のテーマとなったのが新元号はどんなものになるだろうかという推理ごっこです。実際の厳しい条件を確認せずにしたので披露できるものは少ないのですが、なるほどといった感じで膝を叩くものも出ました。
誰の発案かは別にして「光輝」「敬孝」「栄智」「崇恵」「誠仁」「慈朋」などなど最初は戸惑う孫たちに、意味と字ずらの良いと思うものを漢字単体で提示してあげると組み合わせが次々浮かび、それなりに楽しいひと時が過ぎました。当たらずとも遠からじというか、当てることなど当初から想定には無く、近頃とんと少なくなった漢字とのふれあいになった感じです。
実際は、既に決まっていて書かれたものが大切に保管されているという話もあるし、誰が最終決断をするのかという疑問も孫たちから出されましたが、数十年に一度のことでもあるので、誰を問わず国全体の関心事であると確信した次第です。
No.3072 素晴らしい晴天の新年にあたり
遠来の孫たちと年末からわいわい過ごして3日に大宮駅まで送り、昨日はここ数年恒例の成田山新勝寺の参詣と、あっという間に過ぎゆく正月といったところ。
新勝寺は11時頃に門前駐車場に着きましたが、例年満車状態のバスが一台も無く、聞くと渋滞でかなり到着が遅れていたらしく、私たちが出発する時間になっても他のバスは見られませんでした。そんな交通事情のせいかどうか、参詣者は例年より少ない感じでしたが、私は此処の鰻屋さんの多いカーブした坂の参道の賑わいに接するのが好きで毎年の常としています。門前から人があふれる登り坂をゆっくり進むと、今年もすべての鰻屋さんには人が列をなしている盛況ぶり。中には整理券を出して隣の店を列でふさがない工夫をしている店もあるなど、日本人の鰻好きを証明する光景が独特の風情を醸し出しています。
昔は日帰りではなく宿泊参詣が多かったので、店名に旅館とある店が多く残っていますが、今では川魚を主とするレストランを主力に形態を変えている店がほとんどと言います。大野屋、大黒屋、駿河屋、ひし屋、梅屋、近江屋など、それにテレビでたびたび紹介される川豊本店などが参道に軒を並べています。駿河屋と川豊は鰻をさばく作業が参道から見える工夫をしていて、職人さんの捌きの早さだけでなく、その人数の多さに圧倒されます。
個人的には参道最下にある駿河屋さんの鰻が好きですが、時間帯では2時間近く待つのでここ何年もいただくことはないままです。この駿河屋さんは節分で豆まきに招待される横綱が常食にしている店になっているそうです。
ところで、駿河や近江の地名が古い時代から残るのは、成田山が全国に知れ渡った参詣の名所だからなのでしょうか。そんな軽い疑問を訪れるたびに想うのですが調べることはないままです。どなたかご存知でしょうかね。
鰻の話ばかりで恐縮でしたが、一昨年3月に鼻の手術で17日間の入院をし、その後定期検査が3ヵ月ごとにありましたが、今年からそれが年1回になりました。そんなことから、今年は健康元年として心身ともに再出発を心がけてまいりたいと思っています。皆様もくれぐれもご自愛され、素晴らしい一年を過ごされますよう!
本年もよろしくお願い致します!!!
No.3071 2019年もよろしくお願いします!
平成最後の大晦日も残すところ3時間ほど。年が明けて4ヶ月後には平成が終わりを告げ、新たな時代が幕を開けます。今、目の前では紅白歌合戦がにぎやかです。はっきり言って、歌合戦のイメージからは程遠く、デジタルイルージョン化とコント化が強化された番組構成はここ数年の傾向でしたが、今年は極限にまで来た感じです。グループ歌唱もますます多くなっているようで、見たことも聴いたこともない曲に戸惑いの時間が多くなっている感じです。私たちが20代、30代の頃、60・70代世代は聞き慣れないエレキギターのテケテケサウンドに眉をひそめていたのかもしれません。そう考えると歴史は繰り返すということなのでしょうか???
さて、新時代に向けて何を思うか。期待と不安のどちらが先立つのか?
人それぞれに思いは違うことでしょう。私は根がどちらかというとプラス思考なので期待への比重が高めです。ただ、南海トラフ地震の発生確率の高さは大きな不安です。平成30年の文字に「災」が選ばれたのは今年の全国各地の災害を振り返るとなるほどと思いますが、年々災害の規模が増幅していることを思うと納得感とは別の次元の感覚がしています。
自然とは別に人為的な面では、韓国によるレーダー照射が世界的問題になりつつありますし、北朝鮮の核兵器開発が継続されていたとか、迎撃不可能と言われるマッハ20を超えるICBMの開発にロシアが成功したなどという話は隣国日本にとって気色の悪い話です。中国思想は今更言うまでもないわけですから、常に遠い東にアメリカを望み、北と西に野心いっぱいの危険国家を背にする地政学リスクを負っている日本。領土問題に解決の道はあるのか。拉致問題、瀬どり問題・・・外交課題にゴールはしばらく見えることはないのかもしれません。
経済的には昨日TPPが発効され、大きな自由貿易経済圏がスタートしました。アメリカの動向ははっきりしませんが、突然のようにイギリスが参加に興味を示し始めました。EU脱退が国内的にいびつな政治状況を生んでいますが、プライドの高い大英帝国の今後は、信頼の厚い日本にとって無関心ではいられないはずです。そして、憲法改正と消費増税といった内政の課題と統一選挙がもたらす政治動向は?
身近な我が街幸手の行く末は? 12月議会ではまた新たに土地をめぐる問題が持ち上がりました。共産党議員の質問にまともに答弁出来ない市長でしたが、内容的には弁明の余地のない失態としか言いようがありません。西口の区画整理用に土地開発公社が購入していた土地を、開発の具体化にともない市が買い戻すことになったわけですが、購入価格より約7100万円も安い価格で販売したことによる瑕疵です。問題は、公社の理事長と幸手市の市長という売買相対する管理権限者が同一人物だということです。売る側と買う側双方共に稟議システムはなかったのでしょうか。公社理事長は決済にあたり買った額と売る額の双方を確認しなかったのでしょうか。担当者の単純ミスでは許される問題ではありません。トップの相関関係を考えると、トップ二人(同一人物)は知っていたか、あるいは指示した可能性すら疑われても仕方のないことです。それでなくとも幸手市の補助金処理でもたびたび問題が発生したこの3年半。市民の税金がベースにあることへの意識がないのか、麻痺しているのか。
防災への認識も表面的には示していますが、具体的施策となると疑問です。なにしろ、耐震対策として進められた古川橋の工事がストップしたままというのはいかがなものか。災害への意識が足りない証拠と言えないでしょうか。路面の工場制作をしているということにしても長すぎます。私的表現で言うなら、今の幸手市政は内輪の行政という感想がしてなりません。要するに税金の使途が問われる政治からの脱皮が、新時代の課題であり、未来への扉を開く大切な道筋だとわかっていても、結局、選挙のたびにしがらみが優先する地方選挙の在り方が街を変えられないままでいるのだと思います。政治の質が低下するのは、政治への関心が向かないことにも原因があると言いながら、こと選挙となると未来志向に欠けるしがらみ優先の投票心理が優先する。これでは地方都市が疲弊するのは当然でしょうし、街の未来が約束されるとはとても思えません。災害に強い街への思いもあって少々厳しいことを申しましたが、これをもって災害年の締めくくりとしたいと思います。本年もお付き合いくださいましてありがとうございました。来年はブログ開始17年目に入ります。まだまだ頑張って続けていきたいと思いますが、丸4年の政治ブランクから自分の在り方をどう見つめるか大切な年になる2019年。引き続きよろしくお願いいたします。
どうぞ良いお年を!!!
No.3067 友ありて
昨夜は大河ドラマ「西郷どん」に涙した人が多かったことと思います。加齢とともに涙腺が緩くなっている私もついついグッとくる最終回でした。
西郷さんの最期は桐野利秋の介錯によるというストーリーが一般的かと思っていましたが、そこにあまりこだわりは感じないシナリオでした。
さて、以前の号で文芸幸手終刊の話をしましたが、そこに投稿した我がエッセイのタイトルが今号掲題のものです。いずれご一読いただければとしていましたので、昨夜の最終回が終わって、あらためて西郷吉之助・大久保一蔵の友情を見つめてみるのもよろしいかと思い掲載しましたのでよろしくお願いいたします。
なお、これを書いたのは6月のことでしたので、時系と言うよりは季節感が異なることをご理解ください。また、スマホでは少々読みにくいかもしれませんがお許し願います。
日曜日夜は、大河とは別に「下町ロケット」にも興味を惹かれます。佃製作所という架空の下町工場を舞台に、人間模様を織り交ぜながら、産業機械の開発(今はロケットではなく農耕機がドラマの対象ですが)に中小企業としての総力を注ぐ姿は、日本産業界の構造とそれをつなぐ表と裏を見せているようで、ある意味手に汗を握る展開が続く脚本完成度の高いドラマではないでしょうか。
バラエティーには基本的に興味を感じないのですが、ライブスポーツの他に知らない街を紹介してくれる旅番組や未知の自然を紹介する番組と並んで、社会派ドラマや歴史ドラマは脚本にもよりますが知識プラス好奇心と癒しの感覚を満たしてくれているように思います。とくにBS放送に良質な番組が多いように感じますが、これが近頃のテレビトレンドなんだろうと思っています。
No.3066 あおり運転判決に想う
東名あおり運転への判決がかなりスピーディーな経緯で出されました。求刑23年に対して横浜地裁が出した内容は18年の実刑。大方の国民は弁護士側による危険運転致死傷罪は車が停止している時には適用しないという主張に強い違和感を持っていたのではないでしょうか。見た目での判断は裁判では禁物ですが、普通の人間感情としては、被疑者の悪びれない姿から同情の余地はないし、これが罪に問われないとなると同種の狂走車が後を絶たないと考えていた人がほとんどではなかったかと。それが証拠に、裁判長は被疑者に反省の色が薄いことを論述していた。尋問に対する陳述にも嘘が露見していたというし、拘留中のマスコミからの接見依頼に30万円要求した事実も彼の人間性がわかる話で、決定的に社会モラルが欠如し、自らの立場自体を理解できない人物のようです。
今日もまたあおり運転をしていた医師が逮捕されましたが、この危険運転は実際に至る道路で見られます。大型トラックなどにピタリと後ろにつかれると得も言われぬ恐怖感に襲われます。
話は反れますが、スピルバーグ初期の作品に「激突」という映画がありました。超大型トレーラーを追い抜いただけの乗用車をそのトレーラーがしつこくしつこく、これでもかとばかりに追跡する単純ストーリー。ところが、セリフもほとんどなく、運転手の顔もわからない追跡劇にもかかわらず見る側の恐怖感は右肩上がりに増幅していくサスペンス映画でした。つい最近のことですが、車間距離をとらない軽自動車が後ろにいたので、車線をずらして前に追いやりましたが、運転していたのは若い女性でした。男女にかかわらず自己中心的な運転手は「そこ退けそこ退けるおいらが通る」の精神で車を操作していると思われますがいかがでしょうか。
この裁判は裁判官3人と裁判員6名によって判決を導く裁判員裁判でした。私も過去に裁判員の指名を受けたことがあります。その時、事件の経緯を確認し、量刑について協議をするわけですが、裁判官が過去の似た事件などを丁寧に説明してくれ、裁判員は独自の思考に基づき議論することになります。何回目かの集まりで量刑について個々の考えを示し、再度議論することになります。最終的に協議の末にまとまった量刑は求刑20年に対し15年と言う結果でした。翌日の新聞報道を見て複雑な思いがしばらくぬけませんでしたが、最終的に上告はなくそのまま結審しました。
その経験からか、今回求刑を聞いて18年を予想していたのですが、その通りになりました。判決の瞬間、首を傾げたという被告の年齢26歳・・・出所年齢44歳。はたして改心の度合いはどうか?
幼い子どもから両親の命を奪った罪にしては軽すぎるという街の声が多いように感じますが、殺人罪には問えない法の限界は、人の感情を抑制させる意味を示しているのだろうと思わざるを得ません。これが、いわゆる日本的裁判なんだろうというのが私の感想です。