議会運営委員会と議員全員協議会があった10日は、深夜からの雪が先月6日ほどは積もらなかったものの、安全を期して新循環バスを利用することにしました。
「行き帰りどちらも都合がつく時間合わせが難しい」という声が早くも届いています。しかし、乗ってみると際どいコーナーワークを必要とする曲がり角など細やかな道が路線に加わり、あきらかに初代循環バスとは異なる地域配慮がなされています。利用慣れが必要かなとは思いますが、なにより日頃通らない道、行かない地区を車窓に映しながらのショートトリップは新たな幸手発見につながること請け合いです。
料金は後払い。1日利用券は往路降車時に運転手さんに告げると写真のような利用券を発行してくれます。
利用者によっては停留所が近くにあることが便利かつ有難いことと思いますが、前回、役所からの利用時には下川崎で降りても自宅まで徒歩わずか8分ほどです。考えてみれば、行幸や香日向地区、そして八代・惣新田地区などの子ども達が、天候に関わらずかなりの距離を徒歩通学しているわけですので、負けてならじ!といった気持ちです。
買い物に行っても店の入り口に近い場所に車を停めようとする傾向があるなど、ついつい、とことんの便利さを追い求める自分がいますが、それは便利とは異なる「楽」を求めているに過ぎないのでしょうね。そう自らに言い聞かせることが健康維持の一助になるはずと思うのですが、さてさてどうなるものやら。
この利用券を見て感じたことですが、これでは幸手の街中を循環するバスを民間会社が運営しているように思えます。早速、会社名の前に幸手市受託といった感じの文字が入るようにしないと公共交通とは言えないのではないかと提案しておきました。細かいこととはいえ、予算的に小さな施策ではありませんので、市の事業という理解が為される印面配慮は必要だと思います。
記事一覧
No.3531 循環バスに乗って
No.3528 石原慎太郎さんへの罵詈雑言
寒い気温が続いている。朝の立哨では、手袋の2枚重ね、足指にはホカロン、耳の痛さも尋常ではなくイヤカバーを利用するといった状況で、外気にあたる皮膚はオデコだけといった姿だが、それでも風邪が吹くと身体全体が縛れる感じ。さすがに子どもたちにも短パンの子はいないが、コロナの関係もあってか若干元気がないのが気がかりといったところ。
さて、石原慎太郎さんの訃報に対して、ネットでは様々な書き込みが見られる。もちろん、逝去を惜しむ声がほとんだだが、お悔やみの言葉もなく、批判ありきの書き込みで石原さんに対する憎悪の念をあからさまにする人もいる。
私が確認したのは、北海道大学名誉教授、法政大学法学部教授の山口二郎、立憲民主党国会議員の有田芳生、大野そのこといった人たちで、石原さんの訃報直後に罵詈雑言と思える言葉を発している。ここで、それらを書くのはためらう内容である。
とくに山口二郎は私が思うに、異様なほどに歪んだ左派思想家であり、それはまさに狂っているとしか感じられない人物である。この人から何を学ぶのだろうかと学生の未来を案じる。
思想は自由だが、悪夢の民主党政権誕生に歓喜し、第一次安倍政権誕生からは、ある時には「安倍を叩っ切る!」といった俗悪過激な発言をするなど、精神的に大丈夫なのかとまで思わせる大学教授である。
人は、どんな人でも・・・それが死刑判決を受けた受刑者が死刑になった場合でも、その直後に死者を貶め、喜ぶような言葉を発する人は、それこそ「てめえたち人間じゃねえ!」という中村錦之介(萬屋)の名セリフが当てはまるのではないだろうか。
異常なほどの嫌悪感を持つ人間の死に直面した時であっても、表向きにはお悔やみの言葉が優先し、本心はグッとしまい込むのが人の道だろうし、それが出来ないほど反保守思想まみれた人間性が若者の指導者の立場にあるという点で国の未来を憂う。この人は、たまたま狂った左派思想家であり、共産党の志位委員長でもまずはお悔やみの言葉を発している。これが人としてごく普通の在り方だ。
ちなみに、この大学教授は東京大学法学部出身の63歳。著書に「民主主義は終わるのか瀬戸際に立つ日本」というのがある。えー、民主主義をどのように理解してるのか不思議で仕方がない。差別を批判するヤカラこそ差別をするという現実を示している人だと思う。
No.3526 ヒトラー比喩の非常識
今日は2022年2月2日で2並び最初の日です。ゼロが入るくらいはいいとしよう。これについては後日のブログでまた。
さて、2022年の12分の1が早くも過ぎた。めくるめく足早に日が変わることとコロナ禍の行動制限によって、近頃目につき、記憶に残るのは人の死が最も多いように感じる。今年に入って著名人の訃報が矢継ぎ早に伝わってくるが、昨日もご承知の通り石原慎太郎さんが89歳の生涯に幕を降ろした。感想いろいろあるが、これもまた後日ということで。
掲題の件は、立憲民主党最高顧問で元総理の菅直人その人に関わる内容だが、橋下徹氏と維新の会をヒトラーにたとえて批判した問題についてである。
菅氏の最近は思考力が鈍っているのかと感じさせることが多いが、今回も、昨年の衆議院選で躍進した維新の会を牽制するつもりで、橋下氏の過激発言に絡めてヒトラーにたとえてしまったのではないか。追ってくる維新の会から有権者の目を変えさせたいと焦ったのだろうか。
たしかに、橋下氏はテレビに出まくって言いたい放題なのは間違いない。圧倒的にディベート力が長けているのはわかるが、人の話にかぶせたり、引かない話ぶりには聞いているこちらも引ける。それにより、ネットを見る限り橋下信奉者が減っているようだ。しかし、それを政党会派に結び付けることがまず間違っている。会の創設者であり組織的に影響力があるにせよ、今はただの法律顧問に過ぎない。
根本が見えていないと言われるかもしれないが、どう考えても、中道保守と感じる維新の会がヒトラーナチスのイメージにはかぶらない。何を血迷ったか菅氏はこの危険なたとえ話を口にしてしまった。昨日、馬場幹事長が立民まで出向き抗議行動を実践したが、菅氏は「あれは、橋下さんに言ったことだ。お帰りください」とにべもなかった。逢坂同党代表代理が「あれは個人的発言で、党として関係があるとは思っていない」とか発言したそうだがこれも無責任この上ない。政権側の議員が失言した際に、自公側がそう答えたら散々口うるさいのはどこぞの政党かである。こうもぬけぬけとブーメラン発言をしても、普通は子どもでもおかしいと思うものだが・・・。
個人的に思うことだが、人として組織として民族弾圧、大量虐殺を行ったヤカラにたとえられるほど嫌なことはないだろう。現代でもジェノサイドや領土侵犯を頻繁に繰り返す指導者がいるが、肝心の立民はそうした指導者が率いる国に対するジェノサイド非難決議を渋るし、その国が発しないとは限らない有事への抑止対策を含む憲法審査会をまたまた欠席する怠慢ぶりを発揮している。国民の命を守るなどとは大嘘の政党ではないかと思う。
そもそもヒトラー比喩を他者に持ち出す資格などないと言える。
菅氏と言えば、自民党厚労省時代にO157が流行した際、生産地である埼玉県白岡市を訪問して感染源と噂されたカイワレ大根をムシャムシャ食べるパフォーマンスあり、総理時代の福島原発でオロオロしながら出鱈目な恫喝指示をしたこともあった。2日前には、EU委員会に福島第一原発の問題で子どもたちが甲状腺がんに苦しんでいるとして原発反対アジテートメッセージを届けている。
5人の総理経験者の共同だが、5人とは菅氏の他に、小泉、鳩山、細川、村山といった御仁である。因果関係も裏付けもない内容であり、福島では風評被害の元を作っていると怒りを隠さない。総理経験者ともあろう人が、科学的根拠を無視した放射能メッセージを発出してよいのだろうか。それとも総理経験者という肩書だから重く受け止められるとでも思ったのだろうか。それは権威主義そのものではないのか。環境大臣はこの内容を即時否定している。
これは個人の考え方と価値観による思想的行為でしかない。国家を飛び越えて他国に勝手に思想行為を行う元総理たちには困ったものだ。
No.3525 被害者を讃える社会に
先日、大きく報道された宇都宮線車内での暴力事件。被害者の高校生は優先席を独り占めするように寝そべって煙草を吸っていた20代の男を注意した。男は激情し、高校生に殴る蹴るの暴力沙汰。あげく高校生が降りた後を追っかけて、ホームで執拗に暴力をふるったという。高校生の友人二人と駆け付けた車掌が割って入るのを振りほどき暴力は続いた。止められれば止められるほど、自分との力加減を瞬時に見定め、ますます逆上の自我パターンになる人間性と理解できる。
この車内暴力は、他の乗客がスマホで撮影した動画がネットで見られる。まさに身勝手極まりない暴力沙汰の顛末がはっきり見てとれる。
容疑者は逃げたものの宇都宮で逮捕された。事情聴取で「正当防衛だ」と語ったそうだが、到底通用する弁明ではないだろう。風体で人を論じると差別になる社会風潮なので、それにはふれないが、優先席で寝そべるなど人間性に問題ありと感じる部分はいくつかある。
しかし、今回際立って異常なのは電車内の喫煙ではないだろうか。ここ2年は電車利用をしてないが、それ以前も含めて社内どころかホームで喫煙する人を見た記憶がない。今や、常識と化した禁煙がこうした形で人に危害を加える犯罪につながるとは思いもよらないことだ。
高校生が喘息持ちだったとかいうのは持ち出す必要のない個人的なことだ。
コンプライアンスと言えば聞こえはいいが、いわゆる不特定多数が集まる室内で、守るべき単純なルールを守らないだけのことだ。それとも守れないほど精神的に大人に成長していない人間なのだろう。
昨日、ふじみ野市で起きた医師射殺事件は66歳の高齢の男によるものだった。アニメ会社放火殺傷事件、それを参考にした大阪クリニック放火殺傷事件。各地でいとも簡単に人を傷つけ、殺す事件が多発する現実は、あまりにも殺伐とし過ぎている。
話は戻るが、ルールを守るよう注意した高校生を注意損に終わらせていいのだろうか。本来であれば、そばに居合わせなければ難しいことにせよ車掌が注意すべきことである。若者がどんな思いで注意したのかは別にして暴力まで受けたのだ。しかも車掌も止めることが出来なかったのだ。
JR東日本はまずこの高校生の治療代を負担し(するとは思うが)、さらに感謝状を贈るくらいのことをしてもいいと思うが、そういう考えはあるやなしや。そして、1年でも2年でも定期代を無料にするくらいの感謝の気持ちを示してもいいのではないかと思う。勇気ある行為を讃えることは百利あって一害なしではないだろうか。
「注意1秒 怪我一生」というドライバー向けの自己責任を予防する交通標語がある。シチュエーション自体が自己責任に関わることではなく、他社責任を指摘したこの高校生に、なんとなく当てはまる感じがしてならない。気の毒そのものという意味で。
朝ワイドのキャスターが、そもそもやってはいけないことをやっている人間を注意することが危険なのであって、注意しなければよかったのにといったことを発言していた。若干、高校生の自己責任に入り込むような内容をニュースキャスターが全国発信することにわびしさをおぼえた。
正義は遠くなりにけりを感じる発言ではないかなと。
No.3519 名優の死と多様性
団塊の世代の末弟に位置する私としては、ここまでの人生で印象に残る著名人、有名人たちの訃報に接する機会が多くなったことを実感している。同窓、同僚はもとより後輩たちの死に向き合う心も持ち合わせていないとならない年代になったということなのだろう。
昨年も多くの著名人が亡くなった。そして新年明けて、好きな俳優だったシドニー・ポワチエさんが94歳で天寿を全うされた。「野のユリ」や「夜の大捜査線」が代表作と言われるが、私は大学生の時に観た「招かれざる客」が忘れられない逸品である。白人家庭に生まれ幸せに暮らすお嬢さんが、ポワチエさん演じる医師と恋に落ち、ある日我が家に連れて帰る場面。スペンサー・トレイシーとキャサリン・ヘップバーンという大俳優が演じる両親の驚きと葛藤は、アメリカで今でもくすぶる人種問題をわかりやすいシチュエーションでストーリー化した名画だ。ほとんどがこの4人の場面に終始するが、医師の両親も息子が白人の娘と結婚することに心が揺れる。特に両家庭の父親が子どもの幸せを願うという意味での結婚許諾に悩む姿が思い出される。
もうかなり前のことになるが、テレビでこの映画に再会して知ったことだが、両親役を演じたトレイシーとヘプバーンは私生活でも長い間事実婚の関係にあったという。この二人をこの脚本の両親役としてキャステイングしたことがアメリカらしいなと感じたものだ。
私は中学生の頃に映画とロックに同時に目覚め「スクリーン」や「映画の友」「ミュージックライフ」といった月刊誌のトリコになったものだ。毎月は買えないこともあったが、オードリー・ヘプバーンが表紙を飾ったり、彼女の特集が組まれていると小遣い前払いをせがんで本屋に飛び込んだ。ヘップバーンとビートルズは大切な青春時代のアイドルだった。
「招かれざる客」は人種問題に揺れるアメリカで、日常起こり得る問題を取り上げたファミリードラマなのだが、母親役ヘップバーンはアカデミー賞主演女優賞を獲得し、父親役のトレイシーも男優賞にノミネートされるほど当時のインパクトはかなりのものがあったようだ。
ポワチエは主役扱いではなかったが、映画が訴えるコンセプトには欠かせない存在だった。今、まさに多様性が問われる社会だが、アメリカ映画史における多様性を大陸全土にアピールした名優だった。
私は、多様性が人権・人種・平等・差別・ジェンダーといったワードに絡めてメディアも多用する時代になったことを理解はするが、それを文字や言葉で声高に叫び、デフォルメし、それに逆行する疑いがある主義主張を言葉にでもしようものなら徹底的に叩くような世の中の動向にはどうも釈然としない。そもそも、多様性を声高に標ぼうするメディアの現代風潮にはどうもなじめない。
こうした問題への対応は、75億人それぞれの人の理性や道徳観に由来するものであって、けっして強要するものではない。また、人には喜怒哀楽の感情とそれに関わる形で好き嫌いの感情もあり、すべからく同じ土俵で測れるものではないと思うからだ。嫌いだと思う感情が口をついて出ると、それは差別だと主張する組織層があることにも違和感がある。
ただ、一言で言えば、「人権」とは何か!についてわかりやすく理解できる幼少時代の情操教育が日本では足りないのかもしれないとは感じている。それでも中国共産党や金正恩及び数人の国家元首たちが持つ人権意識と比較すれば日本人の自治能力は優れているのではないだろうか。
No.3517 悲しい知らせ
昨夜、ある男性からの電話に出た。名前が示されない電話や03、0120といった電話には出ない主義だが、なぜかその電話には出た・・・というより間違って出てしまったというのが正解かもしれない。しかし、その間違いはまさに正解だった。
電話の主は、勤め人時代20年間に及ぶ総務人事畑担当の時に新卒採用した女性社員のご主人だった。当初、名前を名乗られるも暗い感じだったので、いぶかしげな感覚で対応していたが、突然それまで名乗っていた苗字から奥さんの旧姓をフルネームで告げたので、「えーっ!」と思わずうなるような声をあげて理解することとなった。
寿退職で福岡で式を挙げるのに際し出席してもらいたいと言われ、始めて福岡に出向いた記憶は今も鮮明だ。子どもが受験生だった当時でもあり、太宰府天満宮を参拝したのもこの時だったが、ついでの参拝と本人がいない参拝では菅原道真公への願いが叶ったのかどうか・・・?
〇〇由布子君はとても明るい女性で、結婚にあたりご主人が焼き鳥店を開店するので、それを手伝いますと言って笑みを絶やさない人だった。
その彼女が・・・年の暮れに亡くなったと。電話から伝わる憔悴したようなご主人の話に驚きと同時に無念の思いが募った。52歳・・・。3人の子を残して旅立った彼女、どれだけの思いを残して逝ったのか。
退職後も毎年書かさずに届いた年賀状。当初は店の繁栄ぶりを伝える内容だった。きっと彼女の明るさが新規店の底力になっているんだろうと確信の喜びで読んだものだが、その後、ご長男が生まれてからは野球や吹奏部で頑張るお子たちの成長ぶりを伝える内容に変わって、いつも写真入りの幸せ感満杯を伝えてくれる味わい深い賀状だった。
今年は3が日が過ぎても届かないのでどうしたのかと思っていた矢先の見知らぬ電話。彼女が出てやってくださいと私に告げたのかもしれない。
最後に、ご主人が「福岡においでの際は、ぜひお立ち寄りください」と。
彼女が素晴らしい伴侶を選び、そして恵まれた家庭生活を送っていたという感覚に涙腺が緩んでしまいました。
お子達のことはご主人に安心して任せてやすらかにお眠りください。
心よりご冥福をお祈りいたします!