本年は創立記念式典の多い年です。行幸小、八代小が150年、長倉小が50年、さくら小が20年、そして昨日は幸手市危険物安全防火協会が50年ということで式典が開催されました。
さくら小の場合は、東小と緑台小が統合してから20年ということですから、伝統としてはそれ以上のものがあるということですね。長倉小は増え続ける子どもの受け入れ対応として西地区に新設されたといういきさつがあります。
150年という2つの小学校が創立されたのは、1869年に王政復古の成就とともに江戸幕府が終焉してわずか5年後のことになるわけですから、武家社会が身近に感じられるようで不思議な感覚ではあります。近代国家を目指した明治維新政府の欧州視察団によって、国民にあまねく教育の必要性を感じ取った政府が農村地区における教育制度を進めることになりました。そう想うと、渋澤栄一翁がこの国家事業にも大きく関わっていることが理解できます。
行幸小は明治6年創立当初の円藤内学校から、同17年千塚学校、同23年に行幸学校という変遷を経て現在の行幸小学校になっています。
八代小は来賓として式辞を述べることとなり、少々歴史をたどって式辞で紹介させていただきました。それによると、明治6年に安戸村、上戸村、大島新田、それと現杉戸町の遠野村、同じく佐左衛門村を学区として安戸学校が、また、平須賀村、天神島村を学区として平須賀学校、長間村、中野村、平野村を連合学区として長間学校が出来ました。当時の校舎にはお寺が使われたということです。その後、これらの村が八代村として統合再編され、昭和29年に八代小学校の誕生に至りました。式典ではこの29年から70周年になるということも祝いの対象となり、参会されていた地元の皆さんは感慨に浸っておられる姿がありました。各地域の先人の皆さん方のご苦労が偲ばれるというものです。150年という伝統と歴史を有することは日本の近代史に併行するものと考えると、さらに歴史を掘り返してみたくなってきます。
また、50年という期間を振り返ってみても、私が昭和47年に大学を卒業した3か月後に沖縄返還という戦後処理に関する大事業があり、その翌年には日本の高度経済成長が終わったとされる1973年(昭和48年)の第一次石油ショックがありました。それから2年後からが今回の50年の始まりですから随分昔だなあと感じます。1991年のバブル崩壊からも33年もが経過していることになります。国内外の政治も経済も、もちろん幸手市にも大きな動きがあり、良くも悪くも長い長い年月だったなあと回顧する次第です。