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No.3762 幸手市議会に視察来訪

2024.11.20

 今朝の冷え込みはかなりのものがありましたね。子どもたちも冬支度姿を整えた通学スタイルで、多くの子が手袋をしていました。明日はさらに今日をうわ回るとの予報ですが、ついこの間まで半袖姿だったのが信じられないくらいです。

 今日は、気仙沼市議会の議長・副議長と議会運営委員会10名の計12名ご一行が我が議会に視察に訪れました。常任委員会の所属が1議員2委員会という形式になっていることについて、そうなった経緯や運営上のメリット・デメリットなどを研修したいとの視察目的で、こちらからは私、本田副議長、四本総務委員長、坂本文教厚生委員長、小林建設経済委員長の5人が出席して対応いたしました。
 冒頭の概略説明後、質疑応答から意見交換などで結構な内容にわたりましたが、当市にとっても大いに参考になる面もあって有意義な時間であったと感じています。
 もともと、一議員が複数委員会に所属することになったのは議員定数を削減した影響によるもので、当時議員だったのが私だけだったこともあり、私から説明する場面が多くなった次第です。
★昭和61年12月それまで長く続いた議員数を30人を27人に。その17年後のこと
★平成14年3月に27人を25人に。
★翌平成15年4月に市議選がありました。当時は合併問題が争点の市議選で、久喜合併を唱えた候補者が多く当選したものの2度に及ぶ合併が成就することなく残念な結果となったのです。そこで…
★私は25人を22人にする提案を提出したのですが、私に懲罰動議が出た上に提案は否決。
★直後に私の懲罰に賛成した議員側から20人に減らすという議員提案が出され可決されたのです。ところが…
★私に対する懲罰動議や削減発起を議員の手柄争いのような市民不在の好ましくない思考を感じ取った市民の怒りが沸騰し、15人に減らす案に多数の市民が賛同署名した直接要望が出され、議会審議の結果これが可決したのです。
 したがって、一度可決した20名の定員で一度も選挙することなく、15年の選挙が25人で行われた次の19年の市議選は一気に10名減の15名で実施されたのです。その15名で常任委員会を設置するには5人づつで3つの委員会に振り分けるか、一人2つの委員会を担当する形で各委員会を10名づつにするかの議論の結果後者になったということです。気仙沼市議会でもまずは議員定数削減が課題で、その後の議会内体制作りの一貫で来訪されたものです。
 思い出すといろいろあったわけですが、昔日のこととはいえ記憶はよみがえるものです。ただ、15名は減らし過ぎではなかったかと感じる面があります。
 それにしても、今年は日光市、福岡県の朝倉市、そして気仙沼市と昨年は無かった自治体からの視察が続いています。