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No.3585 大きな星だった・・・

2022.07.13

 毎夜2時前後に目が覚め、まんじりともせずしばらくネットにアクセスするという日が続いています。痛恨の極みとか喪失感といった感覚から空虚にも近いやるせなさで集中力にかける自分を…今、実感しています。
 一昨日の通夜、そして昨日の告別式に参列したくて仕方なかったのですが、たまたま所用が入っていたので行くことが出来ませんでした。ただただ感謝の想いをお伝えしたかったのですが、申し訳ありませんでした。
 ただ、ある局で見た場面で、遠方から駆け付けた中学3年生の女子が、こんなことを、しかも落ち着いて語るのです。「日本のために頑張られた方なので、感謝と敬意の気持ちを示したくてまいりました」とても中学生の発する言葉とは思えませんでしたが、こうした純粋さが日本人気質に失われつつある昨今、この言葉に大いに賛同し、この子に感謝する自分がいます。
 8日以降、何かと思い出すたびに涙があふれてなかなか癒える状況にありません。ブルーのスーツで正装し、東日本大震災復興のテーマ曲を奏でる元総理のピアノ演奏動画を見るたび上を見上げてしまいます。ネットも安倍元総理の突然の死を悼む投稿であふれています。というかほぼ一色です。
 昭恵夫人が搬送先の病院に向かう間、悩んだ末に生命維持装置の装着を高市さんが病院に望んだそうですが、昭恵さんが到着するとわずかに手を握り返したそうです。その数分後に・・・。

 知っている方が結構いらっしゃるようなのですが、私は、安倍元総理とは大学が一緒です。5歳私が上なので同時期に学んだことはありませんが、1993年に当選した時から存じ上げていましたし、以降は畏敬、尊敬、敬愛の情が増すばかりでした。そもそも、私はお父上の安倍晋太郎さんが総理になることを望んでいたくらいでしたから。
 あの頃、国の牽引役として田中、福田、大平、三木、鈴木、中曽根といった功罪別にしてそうそうたる顔ぶれが総理となり、その後安竹宮と称された3人がトップリーダー間違いなしと評されていました。しかし、総理にたどり着くことが出来なかったのは病に倒れた安倍晋太郎氏だけだったのです。
 そんなお父上の意志を継ぎ、51歳で最年少総理になった安倍さんは、日本のみならず世界をつなぐ大きな星となったのです。麻生さんの弔辞で、各国のリーダーたちが、諸問題が起こるたびに「安倍はなんと言ってる」と尋ねてきたと言ってますが、それが安倍さんの真の姿であり、日本の誇りそのものだと思います。「美しい日本をつくる」この安倍さん最大のキャッチフレーズは安倍さんだからこそ唱えることの出来た言葉です。なぜなら、安倍さんほど心が美しく、純真で純粋な政治家はいなかったからです。私はそう信じてやみません。
 県議時代にお会いした時、とても気さくな人で上から目線の思考が一切ない方だと感じさせた方でした。とにかくウィットに富んだ方で、ご自分のことより相手の話題に関心を持つという安倍さん一流のコミュニケーションは学ぶべきものが多くありました。
 その安倍元総理が荼毘に付され、遺骨となって昭恵さんの胸に抱かれた姿に改めて悔しさがこみ上げてきてなりません。
 今後の政治が混沌とすることは間違いないと思っていますが、どうぞ黄泉の国から地球を俯瞰しながら、日本の行く末にアドバイスをお願いいたします!
「安倍さんなら何としただろう?」という場が必ず来るはずですから。