気温の上下差は身体にこたえるが、日々目に入る街風景は春の情景を増している。
家々の植栽のツツジがそれぞれ色合いを整えながら面積を増やす変化を見て、命の不思議を再認識したり、知人に教わった小さな鉢に観賞用菊の挿し木作業をし、その10㎝ほどの姿が元気にしているかどうかを朝な夕なに気にしたりと、時間の合間をぬって春を楽しんでいいる。
とは言いつつも、なぜか心が晴れない。コロナのせいもあるのだろうが、やはりウクライナのことが思考の多くを占めているからだと思う。頭に破片を受けて命を取り留めた13歳の少女をみたが、これが氷山の一角かと思うといたたまれない気持ちになる。マリウポリの製鉄所地下に閉じこもった民間人は、ここをハエ一匹通れないように封鎖しろというプーチンの命令通りになったとすると、今や閉じ込められているということになるが・・・。
ウクライナの春は遠い! いや、夏さえも。 このままいけばイタリア映画「ひまわり」で観た画面いっぱいにひまわりが咲き誇った風景は白昼夢で終わるやもしれない。この映画自体は、戦争が生む悲恋をウクライナの情景に結びつけ、ヘンリーマンシーニの音楽と相まって叙情的に観る者を魅了した映画だった。「昨日・今日・明日」の風刺コメディでコンビを組んだソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニの名演は若かった私にも記憶に残る映画だった。余談だが、この頃は仏伊の映画や音楽が世界中でヒットして、それはマカロニウエスタンという異質の西部劇を生むに至った。英米主体の映画史と競うように流行したものだった。
私は、ヘップバーンと並んでクラウディア・カルディナーレという女優が大好きだった。私事ですみません!
ロシアの侵攻当初は零下の日々が多かったが、これからは真夏の陽気へと変わりゆく。気温的には季節を巡るものの、ウクライナの風景はしばらくは季節を感じさせる事の無い暗い状況が続くのだろうか。ひまわりどころか、小麦をはじめとする穀物も、今の光景からはどれほど作れるものやら。返す返すもプーチン許すまじの思いが募る。