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No.3557 あさま山荘事件50年で想うこと

2022.04.06

 ロシアによるウクライナ侵攻は、各地で人の命を命と思わない残忍な暴行殺戮が行われていた。ブチャ市内の惨状は見るに忍び難い。マリウポリでは5,000人の市民が殺されたという。独立した隣国に無秩序にミサイルを打ち、街の歴史も文化も破壊し続けるロシアは、過去の歴史に見られる残虐行為を民間人に対して行っていたのだ。独裁者の猜疑心による領土拡張には常にこうした結果が伴う。

 今から50年前の1972年2月のこと。自分は卒業を控えた22歳になろうとしていた時だった。軽井沢山中のアジトで同士14人を総括という名目で殺害し、山中に埋めた連合赤軍事件が発生した。殺害方法は文字にするのをはばかれるほど残虐無比なものだった。男女関係を問われて処刑の対象になった者もいた。
 当時、警察隊との攻防を流すテレビ画面に釘付けになったことは今でも鮮明な記憶として残っている。警察隊に銃砲を打つ赤軍派に対して、彼らが根城にする山荘にクレーンでつるされた巨大な鉄球が何度もぶつけられる様子はこの世のものとは思えなかったし、22歳の身が受けた刺激としては最大級のものだった。
 連合赤軍とは、日本共産党の分派であった共産同赤軍派と日本共産党神奈川県委員会が合体した組織で、この記憶に残る事件を起こす数年前から革命活動費を捻出するため金融機関を襲うなどしていた。
 そもそも、1932年の秋以降、国際共産党コミンテルンによる武装闘争指示による結果として、日本共産党は査問と称するリンチを都内のアジトで実行していた。同年、小畑達夫中央委員が死に、その後も不破哲三元委員長など若い時にひどいリンチを受けていた。彼はそれを耐えしのび書記局長から委員長へとのし上がっていく。

 
 今のロシアに言えることは、革命という大義を標ぼうする共産主義の原点である独裁指導者がすべての権力を掌握し、それ以外は絶対服従というスタイルそのもので、これはレーニンによるロシア革命に端を発するものである。正に時代錯誤も甚だしい古い人権無視の手法と言える。
 数人の処刑に関わり20年の判決を受けた元連合赤軍の一人が、事件50年にあたって「赤軍派が起こした事件は大きな過ちであった」と述懐している。テレビを見ていた側からすれば、間違いどころの話ではない。狂気の沙汰としか感じられなかった。左派思想にのめり込んだ若者たちの最後のあがきでもあったのかもしれない。しかし、その運動は深く静かに潜行し枝野幸男前立憲民主党代表なども影響を受けているのだ。
 今の時代、大衆運動や革命といったリンチ虐殺は遠い昔の話だと思っていたが、実際には1960年代の中国文化大革命、1989年の天安門事件はもとより、カンボジアでポルポトが起こした大虐殺では200万人近い命が奪われている。この時のポルポトは同国共産党中央委員会書記長という肩書だった。
 別の観点では、第二次大戦終了後に突然侵攻したソ連によって60万人の日本人がシベリアでの抑留を余儀なくされ、6万人ほどが厳しい捕虜生活の中で亡くなっている。既にお亡くなりになっているが、香日向でもその体験者で懇意にさせていただいた方がいた。南京虫やシラミで寝るのにも不自由したとおっしゃていたものだ。サハリンに送還されたウクライナ人は今どうしているのだろうか。
 こうした過去の歴史を彷彿とさせるプーチンロシアの蛮行は、この先いつまで続くことになるのだろうか。