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No.3525 被害者を讃える社会に

2022.01.29

 先日、大きく報道された宇都宮線車内での暴力事件。被害者の高校生は優先席を独り占めするように寝そべって煙草を吸っていた20代の男を注意した。男は激情し、高校生に殴る蹴るの暴力沙汰。あげく高校生が降りた後を追っかけて、ホームで執拗に暴力をふるったという。高校生の友人二人と駆け付けた車掌が割って入るのを振りほどき暴力は続いた。止められれば止められるほど、自分との力加減を瞬時に見定め、ますます逆上の自我パターンになる人間性と理解できる。
 この車内暴力は、他の乗客がスマホで撮影した動画がネットで見られる。まさに身勝手極まりない暴力沙汰の顛末がはっきり見てとれる。
 容疑者は逃げたものの宇都宮で逮捕された。事情聴取で「正当防衛だ」と語ったそうだが、到底通用する弁明ではないだろう。風体で人を論じると差別になる社会風潮なので、それにはふれないが、優先席で寝そべるなど人間性に問題ありと感じる部分はいくつかある。
 しかし、今回際立って異常なのは電車内の喫煙ではないだろうか。ここ2年は電車利用をしてないが、それ以前も含めて社内どころかホームで喫煙する人を見た記憶がない。今や、常識と化した禁煙がこうした形で人に危害を加える犯罪につながるとは思いもよらないことだ。
 高校生が喘息持ちだったとかいうのは持ち出す必要のない個人的なことだ。

 コンプライアンスと言えば聞こえはいいが、いわゆる不特定多数が集まる室内で、守るべき単純なルールを守らないだけのことだ。それとも守れないほど精神的に大人に成長していない人間なのだろう。
 昨日、ふじみ野市で起きた医師射殺事件は66歳の高齢の男によるものだった。アニメ会社放火殺傷事件、それを参考にした大阪クリニック放火殺傷事件。各地でいとも簡単に人を傷つけ、殺す事件が多発する現実は、あまりにも殺伐とし過ぎている。

 話は戻るが、ルールを守るよう注意した高校生を注意損に終わらせていいのだろうか。本来であれば、そばに居合わせなければ難しいことにせよ車掌が注意すべきことである。若者がどんな思いで注意したのかは別にして暴力まで受けたのだ。しかも車掌も止めることが出来なかったのだ。
 JR東日本はまずこの高校生の治療代を負担し(するとは思うが)、さらに感謝状を贈るくらいのことをしてもいいと思うが、そういう考えはあるやなしや。そして、1年でも2年でも定期代を無料にするくらいの感謝の気持ちを示してもいいのではないかと思う。勇気ある行為を讃えることは百利あって一害なしではないだろうか。

「注意1秒 怪我一生」というドライバー向けの自己責任を予防する交通標語がある。シチュエーション自体が自己責任に関わることではなく、他社責任を指摘したこの高校生に、なんとなく当てはまる感じがしてならない。気の毒そのものという意味で。
 朝ワイドのキャスターが、そもそもやってはいけないことをやっている人間を注意することが危険なのであって、注意しなければよかったのにといったことを発言していた。若干、高校生の自己責任に入り込むような内容をニュースキャスターが全国発信することにわびしさをおぼえた。
 正義は遠くなりにけりを感じる発言ではないかなと。