18日夕方近く、救急車の甲高い音が近くに響いた。その後まもなくしてある友人から、「どうも●●さんが亡くなったみたいだよ」との連絡が入った。聞いた瞬間「何言ってんの?そんなことあるわけないよ」と思いつつ、胸は高鳴り、まさかそんなの心境で出た言葉は「えーまさかー」
よくよく考えてみれば、そんなウソをつくわけもなく、嘘と思いたい気持ちしか沸いてこなかった自分。
・互いに香日向に移住してきてから同世代として長く信頼関係にあった友。
・毎週日曜の朝はほとんど例外なく、30年近くソフトボールチームの同胞としてグランドで汗を流していた友。
・尼崎生まれの関西人ではあったが、「わしゃ、関西はあまり性に合わん」と言って関西弁をはばからなかった友。
・酒もタバコもやらず、毎日ラジオ体操、自転車とウォークを最低30分づつを実践していた友。
・毎朝、地域のラジオ体操の見守り人を励行し、その輪を広げていった友。
・少なくなった子どもの為に地域の子供夏祭りを主導してくれた友。
・共通する音楽の趣味を語り、ジャズライブを追っかけしていた友。
・そして、なにより、あれこれ言うことなくほぼ無言に近い感じでただただ私の活動と信条を尊重・協力してくれた心強かった友。
そんな、時には兄貴のような存在に感じることもあった友が、18日当日、ラジオ体操に行ったあと自転車で町内をいつものように走っていた姿を多くの人がみていたのに・・・それが、夕方になって黄泉の国に。信じろと言う方が無理なことだ。驚く以外にどんな感情があると言うのか。気持ちの整理がまだつかない。地域にとっても、彼が関わった会や仲間たちにとっても、そして私にとっても、正にかけがえのない人を失ったという思いしか、今のところ湧いてこない。
時の経過は辛い別れとの出会いを多くする。この地でもう何人目になるだろうか。私は主張の違いが時には争い事にもなるような職制・立場となったが、たまたま「えださんも大変やなー」と慰労の言葉をかけてくれたのはつい2週間前のこと。その1週間後は雨で会えなかった。それが悔やまれてならない。
論争を好まなかった友の生活信条が好きで、羨ましかった。人は基本的には穏やかで安寧な地域暮らしを望むものだが、友はその実践者だった。
かけがえのない大切な友の生き方を早く実践したいと思う。
享年72歳。ノムさん、香日向をしっかり見守っていてくださいよ。そして、なにより仲睦まじかった奥様を見守ってあげなきゃね。どうぞ安らかに!