香日向に念願のバスが開通したのが平成18年5月のことでした。以来、住民の足として地域を走るピンクのバスは地域外からも注目される香日向の風情になったと言っても過言ではありませんでした。
その地域のかけがえのない足がとうとう運行を休止することになりました。
今日、現社長から私のところに連絡をいただいたところでは、回数券を販売しているドッグランと酒のだいます、それと私に連絡をしたとのことでした。あまりにも突然のことで驚いたというのが正直なところです。
いろいろと事情を伺いましたが、明日かあさってには車内や停留所に張り紙をするとのことで、それをファクス送信してくれました。
決断にあたっては、他の事業で赤字をカバーする状況が長く続いており、かなり以前から懸案事項だったようです。ここにきてやはりコロナの影響も有ってのことだろうと思って確認したところ、それもないではないが、これから先の見通しに明るい材料が感じられないとも。
確かに開通当時の人口4千人が今や3千人をかろうじて超えるほどに減少しています。補助金等で継続が可能かどうかについても、補助金そのものが長期的に確実なものではないし、市長が変わればどうなるかわからない。まして、今の幸手市の財政状況を知る限り、民間企業が多くを望むことは出来ないとの考えを打ち明けてくれました。他にもバスの維持費が経営を圧迫していたとか、ドライバーさんの確保が全国的に困難な状況となっているなど、細かな話をしてくれましたが、中田商会さんも社員さんを養わなければなりません。
もちろん、私の想いとして「ちょっと待った!」の気持ちで一杯でしたが、民間企業の苦渋の決断に要望的観念だけで口を挟むのはいかがなものかという思いも感じ、既に国土交通省の承認も得たということで、もはや要望よりはこれまでの運行に感謝の言葉を発する気持ちが湧いてくる思いでした。
ガソリン代高騰、消費税アップといったことも厳しく反映した時期、幾度となく値上げのススメを説いたこともありました。一度は大人料金のみ10円値上げの改定もありましたが、値上げ自体が国土交通省に対する申請の手間は相当なもので、それのみならず、許可も簡単に得られるものではないとのことです。
思い起こせば、当時、政治信条の面で互いに気心通じる関係であった中田商会社長(現会長)に話をもちかけたところ、先方も路線バスの運行に関心があった時期だったことが香日向バス誕生のきっかけでした。
「枝久保さん、一日でも早く実現するためには地域の皆さんの要望を集めてもらえるといいんだが」と社長に望まれ、時をおかずその活動に奔走しました。
当時、それを応援していただき、各戸を歩いていただいた皆さんへの感謝の気持ちは今でもしっかり持ち続けています。
その後、道路使用許可が必要ということで、その為にまずは幸手市の町田市長に了解いただき、次に鷲宮町の首長を訪ねました。鷲宮町には社長と私、さらに町田市長も付き添っていただき、当時の本多健治町長を訪ねたところ、道路使用と停留所設置について快諾してくれただけでなく、住民の為に良いことだと共に喜んでくれたことは今でも忘れません。
あと、二つの大きな記憶は、停留所の設置場所について、中田社長が細かく設置したほうがみんな利用しやすいでしょうと言うので、当初計画よりかなり多くなり、その名前付けを社長から相談されたこともありました。その後、その設置予定の前のお宅に個々にお断りというかお願いに行ったのですが、2軒のお宅で厳しい言葉とともに強い反対を受けたこともありました。それから数日してピンクの停留所を置く作業を手伝いながらここまでこぎつけた喜びを嚙みしめたのでした。
また、5月17日だったと思いますが、開通記念式典をやると言ってきかない社長は、記念品とお赤飯を用意してコミセンで式典を実行しました。その時、6名の区長さんに招待状を届けたそうですが、出席してくれたのは3丁目の区長さん一人だけでした。私が関係してる政治的式典として自治会が関わるべきではないと考えたのではないかと中田社長が少しあてがはずれた感じで言っていたのが印象的でした。自治会の政治的活動は規約上はもちろん、一般概念からも控えなければなりませんが、こうした記念行事への参加が政治的行為にあたるかと言えば・・・考えさせられるところです。
休止の連絡を受けて、私にとっての大きな出来事をついつい思い出してのブログになってしまいました。どうぞご容赦くださいますよう。
本年9月末を持っての運行休止、日常の足として利用されている方がいることを思うと残念で残念でなりません。