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No.3379 じわじわと変わる社会

2021.02.19

 アメリカ大統領選は世界に影響があることとして単なる海外の話題としては捉えられない。しかし、アメリカ国内でのことだけで見れば、確実にアメリカ社会は変わりつつある。それもまた諸外国に無関係ではない。
 何が変わったのか、またこれからどう変わっていくのかは個々の推測の範囲であり、誰も知る由もない。
 国際関係で言えば、中国の世界制覇の野望に向けた動向からは目を離せない。それは、今身近なワクチンをめぐる喧噪な世界情勢からは、発生の大元と(私的には限定して間違いないと考えている)でありながら、中国共産党がみせるワクチン外交は悪事を美談にすげかえるごごとくの国家戦略に変貌している。
 日本では、森前会長辞任へのマスコミや一部芸能界・アスリートの異常な昂ぶりが、コロナ禍の重要な審議を脇に置く野党の実態に拍車をかけた。IOCの見解が変化したのも財政的裏付けもあり、海外発信のワードや文体が問題を感じるような内容であったとされる。
 森発言を擁護するつもりはない。政治家時代から失言の多い人だったが、それが現世を理解していない原因なのだろう。憲法は思想信教の自由を謳っているが言葉まで保証されていない。それが時代と共に強く変わりつつある事実だ。ヘイト騒動がまさにそれであろう。言論の自由も変わりつつある。そして、それがどれほどの騒動になるかという今のご時世に森さんが適さない状況にあってついつい口が緩んだ結果の発言が、人間否定、社会的抹殺論まで出ることとなってしまった。しかし、石川県のご家族、お孫さんまでがマスコミのパパラッチポッシュに晒されているのは異常と言うしかない。そのメディアの中には、女性のヌード写真を販売の糧にしてきた週刊誌などがあるのだが、これに女性蔑視の声が上がらないのはなぜなのか? 

 香港人権弾圧も、尖閣領海侵入も、外務省は静観し、政府も言葉だけでほぼ沈黙に近いと言ってもよいほど弱腰である。更に言えば、あれだけ女性蔑視とまくしたてるマスコミも野党も、とくに立民や共産の女性議員たちがホワイトブレザーを着用してシュプレヒコールをあげる姿を見るにつけ、なぜウィグル弾圧に声すら上げないのかと不思議でならない。まさに、政治で問題にし、世界の世論を高めていくことではないのか。日本はその先頭に立ってもよい立場にあるはずだ。それを押しとどめる何かがあるのは間違いないが、唯一の被爆国として核廃絶の先頭に立てと声を上げるなら、世界を巻き込む、より身近なジェンダー論の中で、女性を粗末に扱う国家に対して日本の女性が抗議の声を上げてもよいのではないだろうか。いや、上げるべきだと思う!
 とくに今、ウィグルで行われている女性に対する強制避妊手術はすでに10万人に及んでいるという。新疆ウィグル自治区の人口は約1千万人と言われるが、中国は、20年から30年先のウィグル民族壊滅を意図しているとも言われている。手術に対する国際批判をかわす目的で、最近では避妊具の装着を強要しているともいわれる。
 こういった中国の民族弾圧には声を上げず、ジェンダーイコールを叫ぶマスコミ・野党群には何か別の目的があるようしにか思えない。しかし、じわじわとその効果が表れているから、叩く時には徹底して叩くという、その筋の手法が際立ち始めていると思う・・・いわゆる昨今の社会変化だ。

 400人近いボランティア辞退があったというが、全体で8万人いることはあまり報じられないし、あっという間の反応に驚いた。都庁に2000件近い電話があったというが、誰がするのだろうか、組織的なものがあるのかもしれないと正直感じた次第。ピュア、ホワイト、フラワーといった言葉で起こされる運動のたびに、あっという間に署名が集まり報道の対象となるが、不思議なことに常に15万人から20万人なのだ。いわゆるこうしたたびに動員される基礎票があるのではないかとの推測もあるが、当たらずとも遠からじであろう。ピュアとかホワイトのイメージとは少々異なるイメージ、つまり、相手を叩く感情的なものは普通ではない。こういうと、これも偏見なのだろうか。何も言えなくなる自由、民主、言論社会でこうした方々にとって差別と称して差別をしていることにはならないのだろうか。エキセントリックな感性は、立憲民主党の蓮舫さんに近いものを感じ、空恐ろしい社会変化が進んでいるようだ。
 問題は、こうした動きにマスメディアがこぞって反応することだ。
 私は、こうした社会変化には感情を流されることなく、確固たる信念を揺るぐことなく自らの五感を大切にしている。もはや、残された人生はそう多くは無い。ましてや社会貢献できる年月はそれより更に短い。
 若い時から英米ミュージックに親しんできたが、シカゴというロックバンドの曲に「Does Anybody Really know What Time it is?]という曲がある。
邦訳は「いったい現実を把握しているのは誰だろうか?」
常に、現実を、そしてそれが要因となって移り変わる未来を見つめつつ、自分に素直でいるためには社会変化に流されないことが大切なことだと思う。
 古いかもしれないが、それでいいと思う近頃である!