掲題の会議が、この7、8日の2日間鹿児島県霧島市で開催されました。毎年の秋、全国市長会が主体となって開催される会議で、全国から約2,000人の市長、市議が終結する一大イベントです。過去の市議時代にも2度参加したことがありますが、今回の問題テーマが「防災とコミュニティ」というものでしたので、夏前にあった案内時から参加を決めていたものです。
内容は、すべてが新鮮なものだったわけではなく、本年2月の防災士資格取得時の講義内容をしのぐという感じではありませんでしたが、もちろん、大いに参考になる点もあったので、近いうちにまとめてみたいと考えています。
衝撃的だったのは「日本に安全な場所はない」という言葉でした。確かに近代における過去の発生確率から言えば、若干の差はあるように思えますが、100年、200年のスパーンで考えればいつ何時何処が大災害に見舞われるかは予知できるものではありません。災害国日本は、そういう意味においては安全な場所はないと考えるべきだと実感します。だからこそ、防災対策が重要となるわけですが、実はこの対策も絶対的なものではないと。自助・共助・公助が問われる昨今、基本は他を頼る気持ちが大勢を占めていることが昨今の災害の実態でもあきらかだと言います。個人はもちろんコミュニティであっても行政依存度が高く、警報を聞いても自主防災隊が瞬時に活動する実態は少なく、住民に至っては避難準備すらしないことが昨今の大災害時にはっきり示されたそうです。この話を聞いて、私は別の言葉をふと思いつきました。「頼助」です。
参考的内容を少し紹介しますと、災害対策はトップダウンでできるものでも行うものでもなく、ボトムアップで構築していくものだと。しかも、その先にこれでいいというものはないと考えるべきだと。
コミュニティは生き物であり、社会関係、社会集団、地域的アイデンティティを有するものであって、行政が作ることはできない。
コミュニティとは地域という意味合いだけではなく、すべての組織、集団を指す。学校も会社もコミュニティである。
行政の災害対策向上を考えるには自治体職員の能力を上げることが求められる。実際、災害時の対応、復興対応では職員の力の差が如実に出るといいます。それには、常に災害対策を自力・独自で考える組織作りが必要なのかもしれません。
究極の防災力アップには、個人の防災力を高めることしかないとし、要するに自助能力をアップさせるということになります。行政に求めても自ずと限界はあるし、責任転嫁するべきものでもないということになります。頼助などとんでもないということでしょう。
なお、高齢者など避難要支援者については全く別の議論の対象とされています。これについてはまた示したいと思います。
ちなみに、薩摩の友人に聞いた話ですが、幸手市で鍵が無く避難場所を開けることが出来なかったというニュースは、鹿児島の新聞でも記事になったそうです。講義の中に「成功も失敗も情報として横に流す」という話がありました。その点で行くと皮肉な話ですが、幸手市の失敗は全国の教訓として役にたったということになるのでしょうか。
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No.3201 全国都市問題会議
2019.11.09