記事一覧

No.3161 街やSNSの声

2019.08.18

 8月のブログ数がほぼ経過日数と同じペースになっています。通常は8~多くて12といったところです。実際、かなり画面に向かっている時間が多いという実感はあります。これは「えださん日記」時代の合併問題で大揺れした頃にかぶさります。アクセス数は当時の半分程度ではありますが、幸手市以外からのメールをいただく現状を考えると、日々お伝えする意義と必要性を強く感じております。
 また、別の話として戦争を語り継ぐことに関しまして、ぜひ続けて欲しいという檄メールをいただきました。心してあたりたいと考えています。

 とにかく暑いですね。昨日は宵のイベントにお招きいただき、多くの市民と交流をする機会を得ました。どうしても話題は市長事件になるのはやむを得ません。新聞報道を読まれていても実際の具体的動向を理解出来ている方はそう多くはありません。したがって、その都度、議会の現状をお知らせすることになりますが、要するに市民の声は「辞めるべき」「辞めてもらいたい」ということに尽きます。
 幸手市長で検索しますと、ツィッターの書き込みもかなりのものがあります。記者会見でニヤニヤ笑いながら答えていた姿や、口にした言葉にあきれたというものが主論として散見されます。弁護士のふてぶてしく、都合のいい答弁拒否への批判も少なくありません。中でも、「市長の前に、人としてどうよ」という端的な論評は、正にその通りとうなずけるものです。「起訴されようが、有罪になろうが、行動自体が許されるものではないですよ」「退職金も税金なんだからまともに払うとしたらとんでもない」などなど。
 しかし、昨夕はより厳しい言葉を耳にしました。文豪太宰治の「斜陽」と並ぶ名作と言われる小説のタイトルです。さすがに、ここまで文字にするとまさに幸手市の恥をさらけだすようで気が引けます。
 この言葉を発したのは女性でしたが、今回の市長の言動に対しては、特に女性の厳しい非難が感じられます。ただ、厳しい反面「奥さんが可哀想」というの声があるのも女性らしい特徴でしょうか。
 

 ところで、昨日のブログで不信任決議案を否決して辞職勧告決議案で事を収める動きが感じられると書きましたが、これは言ってみれば「市長、お辞めになった方がよろしいと思いますよ」的意味合いで、法的拘束力もないものですから、議会対応としては踏み込みレベルの弱いお茶濁しと思われても仕方ありません。
 今回ばかりは、間違いなく毅然とした議会対応が求められています。辞職勧告では、市長が辞めずに続投ということもあるわけです。そういうニュアンス、いわゆる市長選択権を与えるような決議を思慮する裏に何があるのかという疑念もわくことになります。ですから、たとえ、これを受けて市長が辞職したとしても、議会としてはどうだったのかという指摘・評価を受けてもやむを得ません。
 もちろん、不信任決議にも市長の対応は2種類あります。10日以内に辞めなければならないが、それとともに議会を解散するという権利も市長にあります。おそらく、解散されると市政の空白が長くなり、選挙費用もかかることになるという主張が推測されます。だから辞職勧告決議なんだと。
 しかし、今回の事件性で市長が議会解散を宣したら、幸手市が全国に恥じるレベルが最高点に達することは間違いありません。したがって、ここまではしないし、出来ないという意味で市長の人としての原点まで失くしてはいないことにかける場面だと考えます。
「毅然」とはなにか! 5万市民だけでなく、全国の目が幸手市議会の倫理的自浄作用に注目しています。