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No.3079 メイ首相ならぬ迷首相

2019.01.16

 ここ数年、離脱というワードがニュースになることが多い。トランプ大統領などは就任後、パリ協定、TPP、NATOといった重要な国際協調路線からの離脱を決定もしくは表明している。また、最近では日本の国際捕鯨委員会(IWC)離脱もあった。
 しかし、イギリスの場合は同じ離脱でも意味も重みも異なる。そうならないと信じて国民投票を実施したキャメロン前首相だったが、逆にEU離脱を選択した結果は、それ自体、UKプライドがもたらした結論として考える向きも少なくなかった。英独仏の欧州リーダー国家の中でもイギリスが特異な存在であるのは誰もが理解するところだと思う。ところが、そのイギリスのEUにおける存在感が薄れつつあることに国民のいらだちは高まっていた結果が、国民投票の結果だったという考え方である。

 昨日の議会は協定合意内容に基づく離脱に反対するというもので、3年前に離脱の強硬派だった保守系議員にも多くの反対者が出た。202対432という票決は、自らの同士も反対に加わったという点でメイ首相にとってかなり重いものとなった。3月29日の離脱日までに真に離脱が出来るか混沌とした状況である。北アイルランドは連邦内では異端国家であり、過去には多くの死者を生む紛争にも発展したことがある。しかし、今のイギリスの本質は、国民投票の結果に心変わりをする国民が増えつつあり、それは議員にも顕著になっている。その意味で、アイルランドの国境問題は隠れ蓑化しているのではないかと。

 昔、とは言っても40年ほど前のことだが「不確実性の時代」という本がベストセラーになった。ガルブレイスというアメリカの経済学者によるものだったが、難しい経済理論というよりは、多くの社会を取り巻く事象において、意思決定を求められる場面で、その意思決定者が思考する方向に結論が導かれるとは限らないし、またそうなったからといって、その意思決定が社会に受け入れられるとは限らないといった理論に当時焦点があてられた本だったと記憶している。いや、この私の記憶こそが不確実性が髙いかもしれないのだが・・・。
 今のイギリスを思うと、この理論がそっくりあてはまる状況ではないかと思えてならない。議員も国民も離脱への準備期間を経る中で、離脱に疑問をもつこととなり、サッチャー首相に匹敵する可能性を持ったメイ首相の能力も及ばない混乱状態と化している。意思決定者であるメイ首相が国民投票の結果に真摯に対応しているのだが、空気は逆流している。メイ首相ならぬ迷首相というべき現状に若干の同情を禁じ得ない。小生は個人的には離脱はしない方が良いと思っているが、ここまでこじれた状況でのメイ首相の戦略ははたしてあるのだろうか。
 

 ところで、イギリス議会の姿にはいつも魅せられる。国内の県や市町の議会を随分視察したが、ほとんどどこでも議員をもてなす施設・設備はかなりハイレベルである。ゆったりしたテーブル配置、ソファー椅子、氏名板、マイク等々、そもそも議場空間が立派だ。これは皮肉混じりとご理解いただきたい。ただ、幸手市議会は昭和40年代建設ゆえの老朽化が目立ち、議員控室も他と比べようもない。呉越同舟の部屋が一つあるだけだ。
 しかし、イギリスの議場はどうかと言えば、ベンチ椅子で隣席との仕切りはない。身体が接触しているのは画面の通り。肘があたったとか蹴飛ばされたということもあるだろうに。名前もわからない。見ると立っている議員もいる。議員が議場で活動する時間は年間何時間あるだろうかと考えると、日本の議場は議員を先生と言うだけのことはある。すべてのコストが税金だと思うところに政治家と議会議場の本質があり、それをイギリスの議場に感じるのである。もっとも、もう少しゆったり感を持たせても良いのではないかとは思うのだが、この独特の議会風景を見るたびに感嘆させられる。

No.3078 稀勢の里無念の引退を惜しんで

2019.01.16

 8:45ニュース速報「稀勢の里引退で田子の浦親方会見」インタビューに答えながら涙ぐむ親方の姿が印象的でした。
 これまでに書いてきたスポーツ関連ブログの中でも際立って無念残念の思いの強い稀勢の里の引退。深夜のスポーツニュースで取り組みを見ましたが、負けた後、2度うなずく素振りを見せた横綱。何を思ったのか、何がよぎったのか。あのうなずきに引退の決意を感じました。
 綱をしめて2年、日馬富士戦での胸部打撲にもかかわらず、横綱昇進直後の29年春場所で大関照ノ富士との決定戦に勝ち、涙の優勝劇を果たした時は、彼の完全復活の期待を感じさせました。しかし、その後今場所までの11場所の全成績は23勝33敗102休。残念ながら歴代横綱の最低勝率と連敗記録が残り、優勝もわずか2回という成績です。綱を得た時、これで稀勢の里時代到来かと相撲ファンを小躍りさせたのも短い期間となりました。
 本人が口にすることはないでしょうが、とにかく悔やまれるのはあの日馬富士戦でした。涙の照ノ富士戦もあってか、その後、体調復帰に向けて休む機会と期間が中途半端なまま出場を続けた結果が途中休場の連続でした。しかし、これも横綱としての立場を思う彼の責任感がもたらすものだったのでしょう。
 3人のモンゴル横綱に敢然と立ち向かった力士として記憶に残る稀勢の里。この初場所を乗り切って華やかな春を迎えることは叶いませんでしたが、諸問題で苦しんだ角界を支えた功績を称えるファンが多いことは間違いありません。お疲れ様でした。