英国公文書の機密解除内容として香港紙が報道したところによると、1989年6月3日に北京で発生した学生たちによる民主化運動での犠牲者を3,000人と推計していたという。学生たちが鎮圧にあたった軍から退去を命じられた際「1時間以内に立ち退くように」との指示だったが、装甲車や戦車による攻撃はそのわずか5分後だった。そして、あの冷徹な惨劇が実行され、天安門は地獄の修羅場と化していくわけだが、当時この広場を見下ろす一室で華国鋒、胡耀邦、趙紫陽といった民主化正当論に近いやむなし論を唱える国家リーダーたちが固唾を飲んで見つめていたが、と小平の強硬論によって武器を持たない若者に向けて軍の攻勢が雪崩を打つように開始されたという。はたして真実はいかにということになるが、その後の小平翁への権力集中との関係をどう理解するかといったところか。
当時の英国大使は「少なくとも1万人が死亡した」と本国に伝えたそうだが、異なる大使からは「2,700人から3,400人」という下方修正の情報も入電されていたという。
何人死亡したかについて、今報道修正する理由が何かは不明だが、英国の対中国の感情がおよそ芳しくないことを示していると思われる。習近平訪英の際のエリザベス女王に対する非礼が影響しているのだろうか。
中国という覇権国家は覇権実行実現にあたっては我田引水、唯我独尊、ご都合主義といったイメージしか浮かばない国である。なぜなら、それは歴史的な観点においてその数値部分を改竄し、他国批判や大枚援助の取り付けを臆面もなく求める非道国家であるという点に尽きる。
この天安門事件も中国の政府筋の発表は死者319人である。遺族が真相究明を求めているが、求めすぎれば遺族の命も危ないのではないだろうか。そんな一党支配独裁による非民主国であるということを忘れてはならない。
南京大虐殺事件など最も下劣な例である。世界和平を求める地球のリーダーにならんとするのであれば、なぜ戦後70年を経て虐殺記念館という淫靡な施設を設ける必要があるのかと思う。アジアをまず意のままにするために日本が目の上のなんとかであるのはあきらかで、そのために日本が有する世界の信頼を侵略という歴史によって貶め、これに韓国を引き寄せているというのが現実である。この二国、どれほど日本か援助の手を差し出したことか。ここ数年、毎年12月になると虐殺記念館イベントを日本のメディアは取り上げるが、この記念館が出来たのはわずか4年前のことなのだ。しかも事件内容をいびつの数値にしたままである。もっとも、朝日新聞が記念館設立やその情報捏造に協力しているというのは我が国の恥部でもあるが、天安門事件自体はウィグル自治区やチベット自治区と並ぶ平民弾圧という中国の恥部であるのは間違いない。今になって真実を伝えんとする英国の思いは不明だが、毅然とした外交のあり方として少しでも見習いたいものである。自国に関する捏造を広められている日本はこの点紳士的というよりは臆病すぎはしないだろうか。