今日、家内と映画のビデオを鑑賞した。数年ぶりの二人揃ってのことだった。意識したわけではないが観たのは「雨あがる」。2000年公開の黒沢明監修・脚本の映画でその年度の日本アカデミー賞で最優秀賞を作品、脚本、主演男優、助演女優、音楽など、そして優秀賞に主演女優、助演男優など、ほぼ独占に近い賞を獲得した名作で、何度も観た映画なのだがたまたま家内が図書館でこの原作本を借りてきたことからビデオを観たくなったのだ。時代小説には人情描写の鋭いものがあり、その原作の多くはドラマ化されている。この雨あがるは山本周五郎だが、藤沢周平、池波正太郎といったところがビッグ3ではないだろうか。
てるてる坊主にも似た期待を持って全編1時間半という短めの映画鑑賞となったが、台風が近づく天候ではそれも叶わず雨は激しくなるばかり。7時すぎに三ッ林事務所に入る。ほとんどいない事務所にもぽつぽつと支援者が訪れ7:55に始まった選挙特番でいきなり多くの当確が出たことに驚く。我が三ッ林候補の当確は若干遅れたものの8:10に出た。過去2回の選挙戦は深夜に近い時間帯での当確だったが、予想を上回る発表に喜びも倍増。長雨自体が梅雨でも珍しいのに、それが選挙戦にぶつかって、しかも投票日には台風が訪れ西日本の島しょ部では投票不能地区が多発しているという状態。投票率が心配されたが前回を僅かに下回っただけですんだようだ。
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No.2933 3期目でさらに重厚さに磨きが!
No.2932 魂あふれる真摯な叫び
昨日で日本の今後を左右する選挙戦が終わった。もう何も言うことはない。
我が第14選挙区は候補者4人。三ツ林ひろみ候補の心の底から訴える魂の叫びは聴くものをうならせ、感動させてくれた。昨夜の幸手市内で行われた最後の街頭演説はとても清々しく、聴衆の心に深く刻まれたはずである。雨中ではあったが、傘をさすのも忘れて耳を傾ける姿が多く、そこには、候補者と聴衆との間に強いキズナがあることを思わせるものだった。候補者の実直な人柄が、この政治家なら絶対に我々を裏切ることはないという信頼感を持たせるのだろう。
どの地域でもそうだが地域の未来と国の未来に拘わる国政選挙では先の号でも書いたが「人選び」が最も欠かせない要素である。そういう意味において、近頃は政党にかかわらず人の本質自体に疑問を抱くおかしな議員が出現している。しかも学歴など経歴のいかんにかかわらず驚くべき人柄やプライベートをさらけ出す議員が続出し、また、当選ありきで政党を渡り歩く議員にも事欠かない。今回の選挙は民進党議員の多くがその例である。
党を変えても人間性は変わらない。しかし政治的理念や信条は平気で変える場合が多い。その端的な例が今回の選挙で見られた。いわゆる平和安全法制の反対から賛成への踏み絵がそれだ。時に吹く風に乗り野心を増幅する小池百合子氏。その本質ゆえに希望の具体性を語ることが出来ず、さまつな言葉で安倍政治の批判に明け暮れる選挙戦ではなかったか。自民党にあって環境大臣、防衛大臣などを歴任した政治家としていかがなものかと感じざるを得ない。
夢は形に出来るものが政治上の夢であるべきで、彼女が持ち出した希望という公約の多くは夢に人偏がつくものだった。夢に人偏がつくと儚い(はかない)のである。夢に人がつけば正に政治家ではないかと思うのだが、漢字は真逆を意味する。漢字は面白い。
民進党では当選の可能性が低いゆえ小池人気にあやかろうと踏み絵を踏んだ政治家はいったいいずこに信念があるというのだろうか。また、同じ観点でその支持者も前回選挙との関係から言えば、本質的には裏切られたわけだが、その対応は地域や人間関係で支援することに変わりはないというパターンが多いのではないだろうか。しかし、これこそがしがらみの最たるものだと私は思う。いくら地域性が大切だといっても政治家としての軽さや信念の無さが明らかになればそこで見切るくらいの政治選択が出来ない有権者が多ければ、いつまで経っても政治の質の向上は遠いのではないだろうか。
政治スタンスを変える政治家を許すか許さないかは各選挙区内の有権者であり、もっと言えば裏切られても支援し続ける支持者兼有権者ということになる。選挙制度でベストと言えるものはないのかもしれないが、個人的には中選挙区制度に戻すべきだと感じている。