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No.2790 リオ五輪フィナーレ!

2016.08.22

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 リオ五輪がさきほどフィナーレを迎えた。 

 日本選手の劇的な躍動ぶりにドキドキハラハラの毎早朝であった。結果的には、引き込まれるように眠い目をこすりながら世界のアスリートの極限のプレーに釘付けになった。ちょっとの居眠りの間に試合が終わっていたりすると地団太を踏む場面もあるにはあったが、肝心な部分のライブは見逃さなかったのはしてやったり! 
 寝不足もなんのそのといった感じ、と言いたいところだが、実はその分他のことが手につかない日々だったように思う。昼間の集中力が酸欠になったのは反省点として残る。

 三宅宏実選手のディスク(分銅)ハグの銅メダルに始まり、41個ものメダルを獲得した選手団の皆さんと大会のすべてに「感動をありがとう!」という想いが真っ先に浮かぶ。

 印象深いことをいくつか挙げると・・・
◆確定的なことは言えないが、ドーピングを継続的に行ってきたと推測される国々?の不調が際立っていたように思う。
◆ここ数回のオリンピックで、入れ墨を入れた選手が男女ともに増えているように思う。超一流アスリートによるスポーツとタトゥーの結びつきが私にはどうにも理解できないのだ。
 幸いというのもなんだが、あのボルトには見える範囲ではそれが見当たらなかった。別に、そればかりを探しているわけではないのだが、自然と目に入ってしまうのは読者の皆さんも同様?
 ドイツの棒高跳び女子選手のそれは、抜けるような白肌だったせいもあって、肝心のバーは跳び越えられなかった反面、アスリートといった感じを跳び抜けていた。
 髪の毛の奇抜さも一人や二人ではなかったが、文化の違いと理解するしかないのだろう。
◆夜遊びの顛末を強盗ねつ造事件に転嫁したロクテもない選手がアメリカにいたが、ブラジル国民は傷ついたことだろう。アメリカでも最低ランクの評価がこの選手に与えられているという。当然のことと言える。
 こうしたハレンチ事件がオリンピックで話題になるのは珍しいが、大型移動カメラの落下事故で数人のケガ人が出た以外は、心配された政治的な事件もなく、私の心配も過多に終わった。
◆熱狂的な声援に沸いた中で、ヘイトに近いブーイングを健闘した選手に向けた地元ブラジルの心無い観戦者には残念な思いが残る。
 日本選手の活躍には中国、韓国でも一部同様のことがあったようだが、オリンピック精神の平和と友好がなおざりにされているのは考えものだ。
◆開会式も閉会式も南米らしい色鮮やかな構成に目を見張るものがあったが、コスト的には過去数回のそれと比較して低予算に心がけていたように感じられた。
 商業主義に変化したオリンピックだが、カネをかければいいものはできるが、カネをかけずにいいものを創るという思考チェンジのリオ大会ではなかったか。
◆プロ排除をモットーとしたブランデージ時代からかなりの時が経過したが、アマ精神をかなぐり捨てたオリンピックにもなんとか見慣れてきたと言ったら今更何だの話になるのだろう。しかし、ボクシングにまでプロ解禁となるとどうにも釈然としないのだが。
◆同時開催のように行われていた高校野球は作新学院2度目の優勝で終わったが、水泳400メートルメドレー金メダリストの萩野選手が同校の卒業生だというのも何かの縁なのだろう。
 ところがそれだけではない。作新学院の最初の優勝は54年前の1962年夏。ついでに言えば、同年春の選抜大会も優勝していたので史上初の春夏連覇という偉業だった。ともあれ、54年ぶりという半世紀越えの優勝だった。
 そして、この2年後に伝説の東京オリンピックが開かれている。
 となると2020年東京五輪は56年ぶりということになる。数字的には2年の違いがあるが、ただの偶然には思えない・・・偶然だろうか。
 リオで2回目となる東京五輪にバトンタッチされた前日に作新学院が優勝したのだ。何か感じるものがあると思うのもよしとしてください。

 15歳直前の中3で最初の、70歳の古希で2回目の東京五輪を体験することになる。生きて2度自国のオリンピックを味わうことができるなら、これほどの幸せもないと思う。すでに待ち遠しい気持ちになってきたのも、リオデジャネイロオリンピックが素晴らしい大会であったからに違いない。
 団塊の世代は、時代の変わり目や世界のセンセーショナルな出来事に遭遇しているありがたい世代である。

 1964年は五輪のために造られた大宮サッカー場(現Nack5スタジアム)でサッカーの予選を観戦した。
 2020年は、どこで何を見ることが出来るやら・・・。