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No.2788 好調なメダル奪取の中で

2016.08.13

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 山部選手:銅  原沢選手:銀 そして今、錦織選手がBEST4を目指して奮戦中。やはりオリンピックは見る側の意識が変わる。熱い気持ちになるのは単一種目の世界選手権などとの比ではない。 

 日頃は目にすることのない種目まで興味というか好奇心に近いものを誘われる。カヌースラロームやアーチェリーなどはその例だろう。
 それがオリンピックというものなのだろう。
 ただ、ゴルフだけは毎週トーナメントが放映されているせいかどうか、オリンピックスポーツとしてのイメージが今一つわかず、気持ちが盛り上がらないのだ。皆さんはどんな感じでしょうか。

 早朝、柔道最後の男子決勝戦を見て感じたことだが、原沢選手の敗戦に対してアナウンサーが「原沢は柔道をさせてもらえませんでした」という感想を語っていた。まったく私も同感だ。
 開始早々、巨体を利して奥襟をつかむリネルの手を切る原沢が、いきなり指導二つ。するとその後のリネルは、逆に原沢の組み手を拒否し、まったく柔道という柔道をすることなく優勢勝ちで金メダル。
 つまり、ここに書いただけの内容以外に書くことがないような5分間の試合だったのだ。消化不良もいいとこだ。

 試合後に原沢選手が、「組ませてもらえなかったし、組んでもチャンスを生かせなかった」と語っていたが、組むシーンはごくわずかだった。
 リネル選手を称えるものの、真の強さを感じたような言葉はなく、組ませてもらえればという無念さにあふれていた。かたわらで歓喜の喜びを表現するリネルに「おめでとう」の感覚は見ている側にもわいてこない。

 組み手を拒否するがゆえに左右の手を握り合ったまま、道着を持つことがない柔道は、そもそも柔道と言えるのだろうかという思いは素人的と理解するしかないようだ。
 解説者もそれが不満のような言葉を発しつつも、こうした展開でリネル選手はトップの地位を保っているといった社交辞令に聞こえる弁を述べていた。

 原因は、試合途中で指導というポイントが入ると、そこから消極的な逃げの姿勢かつ見せかけの仕掛けに試合スタイルが変わってしまうことだろう。
 同じ人間が判断することなら、試合が終わるまで技以外のスタイルの部分については評価することをせず、優勢の判断はすべて試合後に、以前の3人ではなく9人くらいのジャッジ制にして勝敗を決する方式にすべきだと思う。
 こうした思いも、試合によっては後半2分ほどの柔道がまったく面白みに欠けるパターンが多すぎるからである。
 ポイントで勝る選手が、後半腰を45度に曲げたまま勝つなどというのは、見ていてスポーツ精神に反する感じで、勝利の意義があるのだろうかと思う。

 たった今、錦織選手がモンフィース選手とのまさに長時間の死闘に勝った。粘りに粘った汗握る試合展開にブログを書きながらもそわそわ。
 あっ、錦織選手が泣いている感じだ。次は前回ロンドンの勝者であるマレー選手で、過去の対戦は若干分が悪いが、大いに期待を持とうではありませんか。スポーツはこうでなくちゃ。
 でも、柔道も大好きなスポーツなんです。だからこそです。