新日本風土記の音楽に魅されながらパソコンを開いた。最近のテレビは地デジに見るべき内容が少ないので、ほとんどBSに合わせることが多い。新日本風土記の他にも、ワイルドライフ、地球ゆうゆう紀行、グレートネイチャー、世界ふれあい街歩き、美の壺、空中散歩・・・・アガサ・クリスティーものや日本百名山も見逃せない。結局は録画しておく場合が少なくないのだが、それを見る時間がないので、外付けディスクがすぐにあふれてしまう。
さて、今時の子どもたちが見る番組はやはり地デジ中心なのだろうと思う。その際、家庭内にいわゆる映倫なるものが存在しているかいないかはこどもたちの成長に大きくかかわるのではないかと思えてならない。ゲームにひたる時間も含めると、そこには私たちの時代とあきらかに異なる子どものディスプレイ世界がある。
良くも悪くもというか、とくに悪い面についてテレビが子どもに与える影響は、その原点に、やはり家庭教育があるはずだ。そんな思いがしてならない。
また余談が長くなった。
今朝、登校パトロールしているところに、長年親しくさせていただいている80を過ぎたご高齢の方が話かけてきた。毎朝、あいさつだけで通り過ぎるので、どうしたんだろうと・・・ご老人は自転車を止めるなり、『枝久保さん、4丁目に公園があるでしょう。そこで昨日子どもたちが楽しそうにサッカーをしてる姿をながめていたんだけど、ある子どもがこっちに近寄ってきて「おじさん、こっちにボール来なかった?」と聞くもんだから「そっちの植え込みの中に入ってたんじゃないかな」と教えて上げたんですよ。そしたら、その子どもがなんて言ったと思いますか』と私に尋ねた。
私は「丁寧にありがとうございましたとでも返事したんですか?」と返したら、少し顔つきが変わって「とんでもない! おじさん、あのボールとってきてと言ったんですよ。どう思いますか枝久保さん。なってないね、最近の子どもは。親の躾にも問題あるんだろうけど」とまくしたてた。
普段は温厚で優しい礼儀正しい、私の大好きな老人が見せた怒りの表情は、とても信じられないくらいだったが、あくせくと高度成長に貢献した老人世代にとって、激減した地域の子どもたちの元気に遊ぶ姿は、残された自適余生の中で、ほのぼのとした感覚で眺める癒しの対象になっているはずなのだ。ところが、逆にストレスに結びつくという事実を知り寂寥感に襲われると同時に、なぜか申し訳ありませんという気持がわいてきた。
さて、そのご老人、かの子どもに対してどうしたか?
「自分で取って来なさい! 自分ことは自分ですると教わってないのか!」と叱りつけてやったということだった。
と、子どもは黙ってボールを取っていったとさ。
「頼もしいご老人」私は、こうしたご老人も少なくなったように思えるのですが、皆さんはどのように感じられますでしょうか。