たった今、参議院で平和安全法制が可決した。
本会議では討論が反対、賛成の順で行われるが、一昨日以来の反対政党による長弁抵抗戦術があまりにも常軌を逸した形で繰り広げられたことから、討論時間を15分に制限することに決まった上で始まった。
しかし、民主党福山氏、共産党小池氏は想像はしていたがこれを無視し、30分に及ぶ討論を行った。ナイーブな状況が続いた国会でもあるので、特にこれに対してどうこうということはないと思うが、普通であれば懲罰動議が発せられてもおかしくはないルール無視だったと言える。
今回の国会審議では法案反対派に戦闘派、武闘派の議員がなんと多かったことか。こうしたことは予測の範囲であったのだろう。委員会で委員長の後ろから何度もダイブした民主党の小西議員、そして、やまもとたろうさんなど、最後の最後の採決場面までユニークな?あるまじき無法議員の姿を見せてくれた。
いくら反対議案が可決されたからといって、議員には議員の品というものがある。まして国会は映像が全国に映されているのだ。
私も、市会議員時代に当時の町田市長を支えるという立場で活動していたが、こと肝心な議案になると市長を支えることが出来ない場面が多々あった。つまり、採決で少数側になって悔しさを味わうことは一度や二度ではなかった。それが政治の持つ基本的ルールだとの思いは持ち続けた。
議会制民主主義とはそういうものと理解しなければならない。悔しい思いは選挙で変えるしかないし、そのためには賛同者を増やすことしかない。
反対討論では、国会の外にいる国民の思いを踏みにじる、理不尽な多数決運営だとの批判を口にしていたが、多数決の議会制民主主義を、国会議員が自ら否定することは、ある意味醜い姿をさらしていることになる。なぜなら、政治家、議員は多数決制度の原点たる選挙で選ばれている。政治家の活動の基本には、選ばれる段階から多数決制度が柱にあるのだ。
選挙で負ける厳しさや忸怩たる思いは、議案採決で悔しい思いをする比ではないと経験から断言できるが、多数決制度がもたらす無情な一面は社会システムの多くの事象に存在しているのも事実だ。
福山氏の強弁は、駄々っ子のような感じで、野次に反応して突然喧嘩口調になる。一昨日の委員会でも反対討論でも意識的にゆっくりと委員長不信任動議の理由を述べたが、議案そのものの反対討論のようでもあった。したがって、2度同じことを聞かされた感じであった。
共産党の小池氏は、声高にまくし立てる弁説手法で志位委員長を彷彿とさせるが、戦後最悪の安倍政権とか希代の悪法であるこの戦争法案といったような表現に対しては、さすがに民主党からも拍手が少なかったように思う。共産党がこうした場面で使う形容詞は、見事なまでに自民保守精神に対する憎悪剥き出しになる傾向があって、共感が持たれないのかもしれない。
いずれにしても、彼らが言う安倍政権打倒は来年夏の参議院選が戦いの場になる。今回の安保法案可決で政権支持率がどう変化するかだが、これも報道の主体によって、最近大きく乖離する傾向がある。私はさほどの大きな低落はないと予測している。あっても一過性のものではないかと。
反対者が言うデモの参加者たちの多くは、民主共産のもともとの支持者たちというのが実態であり、シールズなどの若者が戦争という言葉に過敏に反応して、祭り気分、野次馬気分で声を上げている者も少なくないと感じている。
ただ、わけのわからないまま、友人にメールやラインで誘われたから参加したという学生が多くいることに一抹の不安を感じている。こうした運動の中にいると、まるで正義の戦いをしているかのような錯覚を覚えるというのだ。これもマインドコントロールの一種なのだろう。
たしかに、今回は法案の内容に疑問や不明感を持っている人たちもいるとは思う。テレビやラジオはそういう人たちの声を多くひろう傾向がある。
しかし、デモの中に見るノボリの文字のほとんどは、日教組や組合のものであることがわかる。さらに、挙げるシュプレヒコールは沖縄基地問題にまで広がっているから腰が引ける参加者が多いという。
さらに言えば、早速中国から「国際秩序に挑戦」といった歴史カードを絡めた批判が打電されており、北朝鮮もロシアも思いはおそらく同じところにあると推測できる。
共産党独裁の選挙権も与えられていない非民主主義国家「中国」、国際条約を無視し侵略した北方領土を略奪し、今にあってはクリミア侵略、シリア軍事基地化を実行する「ロシア」、日本人を不法に拉致し、核に執着し国民を餓死させる暴君国家「北朝鮮」などによる批判は、まさにこの法案が必要だということを逆に示唆している。
複雑なのは韓国だが、日本の後押しで日本と肩を並べる産業国家となったことを忘れて、ただただライバル心をむき出しにして、中国との八方美人外交を見せつける現状ではあるが、実はアメリカ同盟強化において先を越されたとの思いはあるはずで、やはりこの法案可決は有意義であったと見るべきであろう。
そういうわけで、概ね、この法案可決を待ち望み、賛意をもって迎える国が多いということに反対派の人々は想いを馳せるべきだと思う。
議員の国会言動や、そこから感じる人格、人間性、政党の精神などを冷静に判断すると、おのずとその違いはあきらかだと思えてならない。