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No.2626 新駅舎は本当に必要か!

2015.07.16

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 台風上陸前にもかかわらず関東各地でも被害が広がっています。しかし、最近の雨の降り方は恐怖感がともないます。そこはかとない破壊感に襲われる地震ほどではないにしても、耳をつんざく、これほどの雨音が昭和の時代にあっただろうか・・・地球の天候は、ミレニアムを過ぎ、21世紀に入ってから確実に変化してます。それも悪化に向かってますね。

 悪化に向かうと言えば、消滅可能都市という言葉が地方都市をグラグラさせています。そして、この言葉は政治行政に関わる専門用語として定着しつつあるのではないかと感じるほど、各所、各場面で使われるようになっています。
 掲題の駅とは、我が街幸手市に唯一の駅であります「東武日光線幸手駅」のことです。スカイツリーラインと言われても、その実感はないというのが本音でして、古いけれども親しみのある、東京方面への乗りやすさにおいてはこの上なく便利な駅だと思っています。
 

 さて、聞くところによると、この幸手駅がお盆過ぎに新駅舎建設に向けての初期工事を開始するというのです。これを歓迎する向きもあるとは耳にしますが、本当に25億円以上のコストをかけて、今造らなければならないシロモノかという意見も多分にあるのです。いや、シロモノよりもハコモノというべきでしょうね。
 国費から支出金(補助金)が賄われるという説明を含めて、幸手市議会では全員協議会で議員に説明があったそうで、結局、議会もこれを承認したわけですが、どうも国庫補助が怪しい状況になっているらしいのです。

 
 私が現職県議時代、と言ってもまだ数ヵ月前のことですが、埼玉県が認可した西口土地区画整理事業との複合的意味合いで、幸手新駅舎建設に県が補助金を支出することは確定しており、それを確認もしていました。
 ところが、さらに私が確認した内容では、幸手市が東武鉄道に依願する形で、つまりどうしても新築したいんですとお願いする請願駅の建設事業には、国は補助金は出さない方針に変わっているということでした。
 その大きな理由は、請願駅というのは、完成した段階で民間会社の資産となるからだということでした。
 この資産移動・・つまり、多くは幸手市の予算がつぎこまれる事業であるのに、出来たら幸手市の財産ではなくなるということについては間違いのないところで、総予算の約2割の5億円以上の額が国から支出されるとふんでいた幸手市計画を、幸手はいいかもしれないが、国は良しとしない!というのは、もっともな話としてご理解いただけるのではないかと思います。
 

 したがって、私は議会への説明内容と変わった段階で、資金計画の練り直し等々、振り出しに戻して審議する、場合によっては特別委員会を設置してでも再協議するべきだと感じるのですが、どうも工事は具体化するようなのです。あてにしていた国の支援は、幸手市の負担増で簡単解決したのでしょうか?
市民に知らされたのでしょうか? 議会はこのあたりをしっかりチェックしてくれたのでしょうか? 
 

 そもそも、新駅建設は4年前の市長選で、現市長が掲げた公約なのですが、財政状況を中心に、その他今後の諸事情を鑑みて、事業変更をすることについては、問題があるとは思いません。幸手中央産業団地をあてにしてるとしたら、とんでもない皮算用だと言わざるを得ません。限られた財政を無理やりつぎ込むことの危険を回避してくれる行政手腕が望まれるところです。

 なぜ、こうしたことを言うか・・・安心安全な街づくりと、街の未来計画に則った伸びゆく幸手の構想を、財政にからめて考えるならば、東西をつなぐ自由通路を先行事業化し、西口駅前広場に階段を降ろし、面整備重点の区画整理を早期実現する中で、財政のやりくりをしながら、新駅舎を計画していくといのが、幸手市の現状における、もっとも理想的かつ健全な進め方だと、私は確信しています。
 と言うのも、駅は街のどういった点に、いったいどれほどの益をもたらしてくれるでしょうか。これは、けっして洒落でもなんでもないのです。
 新駅は人口増加につながるという子供じみた理由は、まったくナンセンスです。後述しますが、新駅を造った自治体が人口増えていますか? 東京50㌔圏の人口減少自治体が、それをくい止めるだけでも相当な労力が必要でしょう。

 たとえ、国や県が何割かの援助をしてくれるとはいっても、多くは自らの身銭を切るということを重点に考えなければいけません。現時点での新駅舎建設は「得を選んで損をする」というのは、火を見るよりあきらかです。
 消滅可能都市をいち早く抜け出すことを考えるならば、新駅舎にかまってなどいられない! そう思いませんか?

 失礼ながら、鷲宮、加須、羽生といった東武線の駅は、新設して確かに綺麗にはなりました。しかし、それ以外になにか感慨深いものがありますか? 綺麗になったという感慨さえも、一定期間しか存在しないはずです。
 個人的感想ですが、羽生駅については見るべきものはあります。それは西口の区画整理事業も行われた結果、ベルクとケイヨーD2が駅前に出来て、西口は変貌しました。旧市街地の東口もうかうかしてられなくなるはずです。
 
大型店舗というのは、長年の培いで市民生活に貢献してきた商店街の経営を瞬時に圧迫してしまう魔力があります。大型店舗同士での生存競争が行われるにいたっては、商店街の個々の努力も細々とした呼吸がせいぜいです。まして、商店には後継者問題という解決の難しい問題もあります。
 逆に大型店は雇用という意味で街を支えます。工場は誘致活動をしなければ進出はしてくれませんが、商業店舗は来て欲しくなくても来る性質があります。消費者市民からするとありがたい部分はあるけれど、旧商店街がすたれる複雑な存在、それが大型店です。

 ごめんなさい! いつの間にか、得意な余談になってしまいました。
 とにかく、どんな綺麗な駅舎でも単なる通勤専用駅舎であれば、一人の通勤者が駅にどれほど滞留して、駅の恩恵に預かるのか! 駅に付加価値を付けても、それに見合うだけの利用者・・人口の深みがある街かどうか!
 思考回路を張り巡らせて、税金の使い道を検討していただきたいものです。
万が一でも、新国立競技場のように、当初コンペ額が異様に膨らむということだけはないように願います。それこそ、そんなことがあったら住民は黙っていないでしょう。