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No.2599 立場違えぞ命を守ることは普遍

2015.05.17

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 暑い日曜日になっています。「過ごしやすい日」からだんだん遠ざかるかと思うと、気持ちも引け気味になりますが、素晴らしい五月晴れであることは間違いありません。 

 まずは、前号に対して反応くださいました皆様に御礼申し上げます。
 上田知事への厳しい評価は、私以上のものがあることがわかりました。
 また、何も問題なければ4期目やらせてもいいんじゃないの、というご意見もあるようです。しかし、くどいようですが、長くなれば権力志向が強くなり、利権や癒着といった構造も生じかねないという理由が、多選自粛条例制定の理由になっているということを無視できません。これは、誰あろう上田知事本人がお示しになり、条例の必要性を訴えたという経緯は重いものがあります。
 そして、当時、上田知事が自粛ではなくて禁止という文言にしたいと主張されたところ、それは憲法違反になるからということで、自粛に落ち着いたということです。禁止まで考えたご本人だということです。
 これらの事実から判断できることは、上田知事の4選挑戦は、政治家としての道を踏み外すものだという、今回の反応でもっとも多かったご意見は当然のことと言わざるを得ません。自分で言ったことを守れない県トップでは、子どもの教育という観点からもしめしがつかないということです。

 私は、別の観点から申し上げたいことがあります。
政治家、とくに首長という立場の方々は、ことあるごとに「私には〇〇万県民の命を守る責任があります!」または「私は〇〇万市民の命を守ります!」といったフレーズを口にします。
 これは、選挙時の公約のみならず、医療福祉や防災対策行政に予算を割り振る際、しっかりやります!といった意味合いで発せられる場面が多いようです。しかし、この言葉を首長が発することに違和感を持つ方は少ないはずです。まさに、その通りだからです。安倍総理、47都道府県知事、1700余の市町村首長の最大の責務はこれだとも言えます。
 

 ところが、今回の天野教授知事選出馬か?の報道に対して、上田知事がもらした感想が「命を助けられる偉い先生がもったいないのではありませんか」といった表現をされたと報道は伝えています。これは、あまりにも低次元な揶揄表現としか思えません。上田知事の日頃見せない人柄を、この言葉に感じたのは私だけでしょうか。知事という職務が、自らが治める県民の命を守る偉い立場だという自負があるなら、こうした言葉は出てこないはずです。

 行政と医療の世界の違いはあるにせよ、その壁を越えて、730万県民の命を守る気持ちに天野教授がなったとしても、それは遠大かつ壮大なチャレンジ精神によるものではないかと思いますし、上田知事がそう受け止めたならば、立派かつ高貴な反応、さすが上田さんだと評価は上がったものと思います。
 医術療法で命を助けられる先生は天野先生だけではありません。世界に誇る医療技術を有する日本にあって、幾多の優秀な先生がおります。だからこそ、日本は世界一の長寿国家になっているのです。加えて、天野先生は59歳ですから、手術執刀をどれほどこなすことができるかはだんだん疑問の年齢になってくるでしょう。毎日などはまず無理な状況になってくるだろうと思います。
 しかし、政治の世界であれば、まだまだ若い部類でしょう。
 ならば、埼玉県民を医療の世界で安心安全に導いてくれる可能性を期待することはリーズナブルなことではありませんか。

 
 ともあれ、上田知事の牽制発言、私には好感が持てませんでした。ふたたび、皆様のご意見をお待ちしたいと思います。