1900年 285,704
1910年 465,766
1920年 993,078
1930年 1,568,662
1940年 1,623,452
1950年 1,849,568
1960年 1,670,144
1970年 1,511,482
1980年 1,203,339
1990年 1,027,974
2000年 951,270
2012年 701,475
100年以上の歳月の間に劇的な人口の増減が見られたある街・・・掲題からすでにどこの街のデータかお察しかと思いますが、今日、驚きの財政破綻申請をしたアメリカのデトロイト市の人口の移り変わりです。
私の生年と同じ1950年がピークで、この時全米第4位を誇っていた。それから62年経過してなんと115万人、62%もの人口が減少することとなった。今や全米18位の人口規模。
このデトロイトという街、私世代にとってはかなり記憶に残る街のはずだ。なぜなら、中学1年で習った地理で、当時憧れのアメ車を作る自動車生産世界一の街という印象で、ただただそれだけの内容で後世にまで記憶に残っている街だからだ。
中1と言うと1962年頃のことだから、その頃すでに人口が減少し始めていたことになる。ここが大きな驚きと言える点だ。
たまたま、タイガースという日本になじみの深い名のメジャーチームがあったことや、タイ・カッブという名選手も日本では知名度3本の指に入る大選手だったこともある。野球大好き少年にとって、ヤンキース、ドジャース、ジャイアンツ、そしてタイガースは大リーグを知る最初のとっかかりだった。日本のプロ球団で大リーグチームと同じ名を持つチームはGIANTSとTIGERSという人気球団だけだったのも特徴的だった。
私自身は、デトロイトという語感が好きだった。なぜか行ってみたいと感じる街でもあった。残念ながら、今だに北米大陸は未知の土地なのだが。
前述のように、地理で学んだ時には、人口の減少傾向が始まっていたわけで、10年刻みだとそれがよくわかる。そこが最大の驚きなのだ。60年の時を経ると、栄華を誇った一大産業都市でもこんなことになる!アメリカンドリームの最大の見本かもしれない。
185万人というと、日本ではちょうど1970年の101万人から今191万人の大都市になった札幌が同規模だ。大体、日本の政令都市は人口の増加している街が多いが、鉄鋼の街北九州市がこの30年で約10万人減っている。以外にも大阪市が1970年からの30年間で298から260と40万人近く減ったが、その後の10年で6万人ほどだが幾分挽回している。
こうしてみると、北九州の例でも若干理解できるが、当然のことながら、ひとつの産業に頼る街はその産業の衰退とともに街も衰える傾向は理解できる。しかし、それ以上に人口減少による税収減、高齢化による福祉費増大といった歳入歳出のバランスが年ごとにイビツになってはいないかといった観点が大切だと思う。そうそう、人口の年齢分布もかなり重要な都市財政の長期スパーンファクターだろう。
何号か前に、週刊ダイアモンドの2040年の貧乏度ランクの件についてふれたが、全国第2位と予測された幸手市でも、現状認識と最悪と最善の比較未来予測を構築して今後の行政運営に取り組む姿勢が求められるということか。わずか人口5万なにがしの地方都市の疲弊から破綻への道は、デトロイトほどの時を要しないと考えるべきだろうと思う。
そんな思いに駆られたデトロイト財政破綻のサプライズニュースだった。