森光子さん、三宅久之さんが相次いで亡くなられた。それぞれの世界で大物として存在感を発揮された方だが、それ以上に親しみのある人柄と温か味を感じさせてくれた方でもあった。
森さんは、私が千葉の津田沼でアルバイト兼の下宿生時代を送った40数年前、「時間ですよ」を欠かさず見ていた記憶がある。私にとっての№1のメモリードラマである。
堺正章、船越英二、樹木希林、天地真理といったキャストだったが、画面を見ていても森さんがこのドラマのリーダー役者という雰囲気が伝わってきた。実際の下宿先のおばさんも私の人生の恩人と今でも感謝しているが、そのおばさんが8年前に亡くなって、今度はアイドル的おばさんと勝手に思わせていただいた森さんが亡くなった。実際のおばさんとテレビのおかみさんがかぶさっていたのだ。
時の流れとはいえとても悲しい。自分も歳をとったものだと思う。森さんが92歳だったとはとても思えないから・・・。
三宅さんは、正論を果敢に発する評論家だと感じていたが、同時に論争の中にも品とか温かさを思わせる好々爺というイメージもあった。昔から政治のご意見番と言われた存在は数多いが、なぜかそのほとんどは上から目線の人柄が多かったと記憶している。言葉では時にそういった場面が三宅さんにも無くはなかったが、それがユーモア的にも理解される人柄だった。
昨日の石原さんが、減税日本との合流の経緯というのはどういったことだったんですか?と記者質問されて、すぐさま感情的に「くだらない質問をするな!」と恫喝していたが、古い青嵐会的体質を感じさせる場面は、今の時代とかけ離れた政治感覚を感じさせるものだった。どこぞの新聞社のオーナーと同様だと前号で書いた通りの人間性を見せてくれた。そんな恫喝で質問を遮ることが有権者には理解が届かないということを理解できない人なのだろう。
今日の橋本さんとの会談では必ずそのあたりの話が出るはずだが、やはり「くだらないこと聞かないでくれ!」とでも言うのだろうか。しっかり説明しなければ会談にならないと思うが、記者には恫喝ではすまされないだろう。記者が聞くことは国民の耳に届くのだから。
今回の選挙こそ、しっかりとした説明責任を発揮することが必要なのは自明の理で、とくに政策を脇に置いた野合性を持つ合流であれば、わかりやすく世間に説明するべきなのだ。単に権力を握れるチャンスだと思ったのら、それはそれでいいではないか。石原さんから橋下さんに風を送る状況が多い最近、何を考えているのかが石原さんにはわからなくなってしまった。
良い悪いは別にして(小沢さんも曰く)、2大政党制を目指していた日本の政界が、逆に政党乱立に向かった事実、そして前述の大野合の合流を三宅さんがどのように評論するか聞いて見たかった。最近の国政を憂い「日本を救えるのは安倍くんしかいない!」と公言してはばからなかった。安倍日本のリスタートに大きな期待を寄せていた三宅さんだった。
森さん、三宅さん、どうぞ安らかに!