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No.2185 初の県政報告会:ヒゲ隊長を招いて

2012.05.18

ファイル 123-1.jpg 自身初の県政報告会を開催した。早いもので先週の土曜日12日のことだ。時間経過の速さにあらためて驚くことしきり。約200名ほどの来場者で立ち見が出るといった感じで盛況な会となった。一番の不安はまずは解消されたので、気持は楽になった。開始寸前まで別の市民団体の総会に出席していたこともあって、準備作業の調整等々に当たれなかったが、それもこれも協力者の皆様すべてに感謝! 有難いことだ。

ファイル 123-2.jpg とくに今回は、何度かお会いしていることから知人の域を越えた感じがする佐藤正久参議院議員、と云うよりヒゲ隊長といった方がわかりやすいかもしれないが、そのヒゲ隊長が応援の講演に駆けつけてくれた。
 今、もっとも我が国土日本の実態を語れる政治家、自らが先頭にたって厳しい現場で人命救助にあたってきた人間の言うことはやはり違うものだと感じた。ハンカチで目をぬぐう姿もかなり見受けた。
「心はいつも現場にあり!」「守るべき人がいる」こういった題目で連日のように日本中を駆け回っている中、私の依頼ならとスケジュールに組み込んでくれた。翌日は5時起床で羽田から遊説に向かうというのだから、くれぐれも御身大切にしていただきたい。

 来賓も多く、私の報告が始まったのが、予定の終了時間を過ぎてからだった。概ね話したかったことは話したが、なにせ早口でまくし立てるかのような感じだったので、お聴き苦しかったことと反省している。
 ただ、「今日の会は最高だった」とか「今度いつやるの」といった言葉をかけてくれる方もけっこういたので、会としては盛会だったと自己評価している。ありがとうございました。
 乞うご期待、次回! おやおや、時計は3時25分、雨は小降りのようだ。

No.2184 荒川区汐入東こども園&小学校

2012.05.18

 今夜は集中してブログ書き込み。毎日一定の時間が取りにくいので、流れが大切だ??? いよいよ雨足は強くなっている。明日の予定が心配だ。

 14日の月曜日のこと。前々から視察してみたいと思っていた相手先を訪ねることができた。ひと月ほど前から計画していたこころみで、同期仲間に声をかけたところ総勢8名での視察と相成った。場所は東京荒川区の汐入東こども園と小学校が同居する施設。なんと8階建ての超近代的教育施設なのだ。
 そこで園長さんと校長先生のお二人に伺ったお話は、どれも新鮮なものだが、苦労話はとくに園長さんから出たように感じる。幼保一体の難しい一面は、私が予測していたのとほぼ同じ感覚で実際にあるらしい。詳細はここでは省略するが、とにかくこの施設は全国的にも先進的例として視察申込みも多いという。
 写真はそれぞれ、外観、玄関、屋上開閉式屋根付きプール、6階体育館床、7階体育館観覧フロア、教室間が開放可能な広々設計などなどじっくりご覧ください。
 なお、この施設は白鬚橋付近の首都高眼下の隅田川向こうにあり、それとわかる建物です。

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No.2183 新型ジェットヘリ投入

2012.05.18

ファイル 121-1.jpg 危機管理行政の目玉とも思われる救助ヘリコプターの新機種導入にあたり、視察の日程が組まれた。桶川にある埼玉防災センターで見た新型ヘリは写真のとおり。「あらかわ3号」「あらかわ4号」でイタリアのアウグスタというメーカーの作成するものだ。
ファイル 121-2.jpg 秩父での悲しい事故を乗り越えて、県内各消防署から選りすぐりの隊員が365日24時間の体制で山岳、水難、火災、突発性病などの災害発生に備える。
ファイル 121-3.jpg 県庁上空まで240㌔速、400m高の試乗もあったが、埼玉スタジアム上空にさしかかった時点での無線交換を聞いていたら「ただ今から着陸体制に入ります」という声が聞こえた。それから5分後に着陸した。たしかに早い。
ファイル 121-4.jpg 県内どこでも15分程度で行けるということだ。
 隊員さんたちのきびきびした清々しい応対が印象に残った。

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No.2182 どうぞやすらかに

2012.05.18

 今午前1時20分、深夜の上空ではゴロゴロ、バリバリの大騒ぎ。たった今、雷鳴に続いて屋根を叩く雨音が・・・すでに強めになってきた。
さる15日のこと、越谷での公務に出かけた際に見かけた古利根川の水位がかなり高くなっていたので、少々心配。

 さて、市議時代からいろいろとお世話になった方が、交通事故で亡くなられた。一般質問の時は必ず最前列の真ん中の席に始まりから終わりまで陣取ってしっかり耳を傾ける方だった。そして、その批評とブログの批評などちょくちょくメール送信してくれるのだが、なかなか的確な,ありがたい指摘をいただいた。
 12日の県政報告会にも奥様ともどもお越しいただいたのだが、大勢いらしたので特段の会話を交わすことができなかった。残念無念・・・。いつも何かとご心配していただき、人生経験なども含めてザックバランな話をされる気さくなご老人だった。最近は目が不自由で医者通いをしているとおっしゃっていたが、それ以前は医者の世話になったことがないとユーモア混じりに自慢気に語っていたのに・・。
 事故現場は、以前から危ない交差点だと感じていた方も多く、私自身も市議の折りに関連質疑および指摘等を何回かしたことがある。今、夜空から聞こえる雷鳴はそれに対する改善がなされなかった怒りの表現か。

 ご自宅からわずか数十メートルのところで、事故に合い、その8時間後に亡くなった。奥様がいくら声をかけても一度も目を開けることなく、一言もないまま逝かれたという。
 おそらく遠いところでこのブログを見続けてくれることと思う。そう思うことがお世話になった故人との絆なのだと信じて。
 ただただご冥福をお祈りする次第です。