かなり冷え込みが厳しくなりました。昨日は、東秩父村を中心に地すべり崩落とその修復現場、それと県と県内企業が進める森づくり事業の実体を視察する業務で出かけてまいりました。同じ埼玉県なのに同村を訪れた記憶がなかったのですが、定峰峠がある地といえば、皆さんも察しがつくのではないでしょうか。峠の向こうは秩父市というひっそりとしたたたずまいの県内唯一の村です。
冬の訪れを感じさせる山里風景には、気持ちがなごませられました。県産木材のぬくもりに包まれながら、和らいだ雰囲気で学校生活をおくっている東秩父村立東小学校で、活発に挨拶してくれる児童たちに元気をもらいました。
さて、表題ですが、戦後65年の時の流れは、日本人の日本人たる根本を徐々に侵食し、生活意識も人間の価値観も、そして政治の本質、道義もすべて形を変えつつあるように思えてなりません。大袈裟に思えるかもしれませんが、こうした国家観、日本人観を問う論説は最近少なくありません。そのどれもが、概ね日本と云う国の将来を憂う内容ですが、いずれにしても世代交代が繰り返されるうちに倫理、道徳、常識、伝統、慣わし、文化といったあらゆる事象で間違いなく日本は変化しています。
変えてはならないものが変わる状況に日本があるとしたら、それはいったい何が原因なのでしょうか。教育でしょうか・・・では教育の原点が家庭環境もしくは家族感にあるとしたら、一部新世代のそれはいったいどのように評価したらよいのでしょうか。考えても考えても日本の未来が心配? 国政だけの責任には出来ないものが沢山あると思えてならない今日この頃です。
えっ? 今回のブログは何が言いたいのかよくわからないですって? そうなんです、自分でも言いたいことが上手に書けないんです。これまではあまりなかったことです。
すみません。