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No.3763 運命の惜別

2024.11.21

 このところ独特の個性で昭和からここまでを走り抜けた著名人が続けて亡くなられている。昨年からたどると正に一世を風靡したきらめく人たちの死が続いている。しかも自分と世代を同じくしている人に限らず若い世代にも。
 10月の西田敏行さんの死は信じられなかったが、海外でもピートローズ、そしてクインシージョーンズ等々、トップアスリート、トップミュージシャンが世を去った。なかでも昨日今日の火野正平さん、北の富士さんには慟哭に近いものがある。チャリオと連れ立って日本の各地を巡った火野さんには、毎朝出がけに爽やかな心地にさせていただいた。同年齢だったこともあり、親近感を感じる方でした。また、落ち着いた静かな語り口調の北の富士さんは、忖度も美辞麗句も一切ない本音の解説が軽妙なようで重みがあり、自分もそうありたいと感じさせてくれる人だった。最近は声に力が無く、しゃがれ気味だったのが気にはなっていた。
 実は、1週間ほど前に勤め人時代の後輩の訃報連絡が届いた。胃を切除してはいたが、それは20年以上も前のことだったと思う。死因はすい臓がんということだった。今春には大学の仲間が肺炎で亡くなっている。それで自分は幾つまで・・・とついつい考えてしまうのだが、火野さんの死はそれに輪をかける感じだ。
 慎んでご冥福をお祈りいたします。

 しかし、平均寿命というものを考えるまでもなく、それを超える人もいれば、超えることが叶わない人もいるのだ。平均とはそういうものだと単純に考えることにして、そのどちら側に入るのかは、それこそ運命というものだろうと。これも自分流プラス思考と考えることにして・・・おやすみなさい。
 

No.3762 幸手市議会に視察来訪

2024.11.20

 今朝の冷え込みはかなりのものがありましたね。子どもたちも冬支度姿を整えた通学スタイルで、多くの子が手袋をしていました。明日はさらに今日をうわ回るとの予報ですが、ついこの間まで半袖姿だったのが信じられないくらいです。

 今日は、気仙沼市議会の議長・副議長と議会運営委員会10名の計12名ご一行が我が議会に視察に訪れました。常任委員会の所属が1議員2委員会という形式になっていることについて、そうなった経緯や運営上のメリット・デメリットなどを研修したいとの視察目的で、こちらからは私、本田副議長、四本総務委員長、坂本文教厚生委員長、小林建設経済委員長の5人が出席して対応いたしました。
 冒頭の概略説明後、質疑応答から意見交換などで結構な内容にわたりましたが、当市にとっても大いに参考になる面もあって有意義な時間であったと感じています。
 もともと、一議員が複数委員会に所属することになったのは議員定数を削減した影響によるもので、当時議員だったのが私だけだったこともあり、私から説明する場面が多くなった次第です。
★昭和61年12月それまで長く続いた議員数を30人を27人に。その17年後のこと
★平成14年3月に27人を25人に。
★翌平成15年4月に市議選がありました。当時は合併問題が争点の市議選で、久喜合併を唱えた候補者が多く当選したものの2度に及ぶ合併が成就することなく残念な結果となったのです。そこで…
★私は25人を22人にする提案を提出したのですが、私に懲罰動議が出た上に提案は否決。
★直後に私の懲罰に賛成した議員側から20人に減らすという議員提案が出され可決されたのです。ところが…
★私に対する懲罰動議や削減発起を議員の手柄争いのような市民不在の好ましくない思考を感じ取った市民の怒りが沸騰し、15人に減らす案に多数の市民が賛同署名した直接要望が出され、議会審議の結果これが可決したのです。
 したがって、一度可決した20名の定員で一度も選挙することなく、15年の選挙が25人で行われた次の19年の市議選は一気に10名減の15名で実施されたのです。その15名で常任委員会を設置するには5人づつで3つの委員会に振り分けるか、一人2つの委員会を担当する形で各委員会を10名づつにするかの議論の結果後者になったということです。気仙沼市議会でもまずは議員定数削減が課題で、その後の議会内体制作りの一貫で来訪されたものです。
 思い出すといろいろあったわけですが、昔日のこととはいえ記憶はよみがえるものです。ただ、15名は減らし過ぎではなかったかと感じる面があります。
 それにしても、今年は日光市、福岡県の朝倉市、そして気仙沼市と昨年は無かった自治体からの視察が続いています。

No.3761 兵庫県知事選の衝撃

2024.11.19

 兵庫県知事選挙は、不信任決議を受けて出直し出馬の斎藤元彦候補の大逆転勝利となりました。前評判を覆した力がどこにあったのかは、今ネットでもいろいろと投稿されており、コメンテーターも独自理論を語る状況にありますが、ただ、誰が何を言おうと数字は正直だと思います。
 投票率が14.55%も前回をクリアしたという事実は、昨今の選挙ではきわめて稀なことです。票数にして25万票増えたわけですから、それぞれの選挙本部も此処迄は予想し得なかったでしょう。多くの選挙がその都度前回を下回ることが民主主義の危険領域とまで言われ、選挙権を18歳まで下げざるを得ない事情の中での今回の結果ですから驚異的な結果だったのは間違いありません。。
 この投票率アップの原因を分析すれば、巷で言われているSNSの影響ということになるのでしょうが、たしかにSNSが選挙戦における驚異の戦術になったことが証明されたと感じます。実際、そうなりつつある最近の選挙事情ではありましたが、この選挙でそれが完全なものになったと思います。とくに大きな選挙ではそれが顕著になってくるものと思います。
 更に、関心を引いたのは不信任決議を受けた候補者の動向です。まさかと思うことが起こったのは間違いありません。先の衆議院選挙において、マスコミによる風をもたらす目的の煽情的投票誘導に問題意識を感じた人は少なくありません。しかし、知事選でのSNSでは風とか煽情的という以上に、そこで語られる内容が真実正論だと理解した県民有権者が多かったわけですから、言い換えれば大マスコミより見ず知らぬ人のSNS投稿が人の心を変えるという事態に発展したのです。これが衝撃的と感じるゆえんです。
 これから、斎藤知事はまだまだ難局が待ち受けていると思いますが、いち早く不信任決議に賛成した維新県議団は協調路線を打ち出しています。考えてみると、維新県議団は知事選に独自候補を出し258,000票余りを獲得し3位という結果でした。2位と3位の票を足すと斎藤候補の票数を12万票あまり上をいくことになります。斎藤候補にしてみると維新が独自候補を出してくれたことは大いに好影響だったとも考えられるのです。このあたりに選挙の難しさというか面白さがあると思えてなりません。

No.3760 創立記念

2024.11.16

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 本年は創立記念式典の多い年です。行幸小、八代小が150年、長倉小が50年、さくら小が20年、そして昨日は幸手市危険物安全防火協会が50年ということで式典が開催されました。
 さくら小の場合は、東小と緑台小が統合してから20年ということですから、伝統としてはそれ以上のものがあるということですね。長倉小は増え続ける子どもの受け入れ対応として西地区に新設されたといういきさつがあります。
 150年という2つの小学校が創立されたのは、1869年に王政復古の成就とともに江戸幕府が終焉してわずか5年後のことになるわけですから、武家社会が身近に感じられるようで不思議な感覚ではあります。近代国家を目指した明治維新政府の欧州視察団によって、国民にあまねく教育の必要性を感じ取った政府が農村地区における教育制度を進めることになりました。そう想うと、渋澤栄一翁がこの国家事業にも大きく関わっていることが理解できます。

 行幸小は明治6年創立当初の円藤内学校から、同17年千塚学校、同23年に行幸学校という変遷を経て現在の行幸小学校になっています。
 八代小は来賓として式辞を述べることとなり、少々歴史をたどって式辞で紹介させていただきました。それによると、明治6年に安戸村、上戸村、大島新田、それと現杉戸町の遠野村、同じく佐左衛門村を学区として安戸学校が、また、平須賀村、天神島村を学区として平須賀学校、長間村、中野村、平野村を連合学区として長間学校が出来ました。当時の校舎にはお寺が使われたということです。その後、これらの村が八代村として統合再編され、昭和29年に八代小学校の誕生に至りました。式典ではこの29年から70周年になるということも祝いの対象となり、参会されていた地元の皆さんは感慨に浸っておられる姿がありました。各地域の先人の皆さん方のご苦労が偲ばれるというものです。150年という伝統と歴史を有することは日本の近代史に併行するものと考えると、さらに歴史を掘り返してみたくなってきます。
 また、50年という期間を振り返ってみても、私が昭和47年に大学を卒業した3か月後に沖縄返還という戦後処理に関する大事業があり、その翌年には日本の高度経済成長が終わったとされる1973年(昭和48年)の第一次石油ショックがありました。それから2年後からが今回の50年の始まりですから随分昔だなあと感じます。1991年のバブル崩壊からも33年もが経過していることになります。国内外の政治も経済も、もちろん幸手市にも大きな動きがあり、良くも悪くも長い長い年月だったなあと回顧する次第です。

No.3759 政治家の言葉に想う

2024.11.12

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 まさに他事想論コラムの書き込みかと思いますが、石破総理のトランプ評発言と玉木代表の釈明会見で感じたことです。
❶総理がトランプさんと電話で話した際の感想として「本音で語る人だなあと思いました。飾ることなく、取り繕う話ぶりでも無い人だと」
 これ、石破さんは自分と逆映しだと言うことを認識しているのだろうか。
❷玉木さんが昨日の会見で話した中であれ?と思ったこととして「30日にもホテルで会いましたが、これは家内に伝えて出かけました」というようなことを発言しましたが、普通は不倫相手に今日は会うのをやめよう」と言うべきではないのかなあと。奥様は快くこれを許したのだろうか。
 政治家の言葉は一言一言分析してみると、いろいろなことが隠されているのがよくわかります。
 玉木さんに対してのマスコミ対応は案外にゆるいようですね。確かに頑張ってもらわなければならない政治家ではありますが、謙虚さばかりが目立つ報道ぶりが多いのが気になります。
 金の問題と異性問題とでは倫理観の問われ方がこうも違うものかと。確かにこういった倫理観問題は個人的見解の違いが大きいとは思いますので、個々の見解を押し付けるものではないですね。

No.3758 政治家の呼称

2024.11.11

ファイル 1689-2.jpg この添付の記事は数年前のものですが、私自身議員という職業についてすぐに感じたことに関わる内容です。国、県、地方自治体の違いはあるとは思いますが、議員になって以来、先生と呼ばれるたびに「議員は先生ではありませんから。議員は市民に信託された選良として働く立場ですから市民の召使いのようなもので先生ではありません。さん付でいいんです」と何度説明してきたことか。
 国会の予算委員会などの議論中、互いに先生と呼ぶ場面に違和感を持つことが度々です。なぜ先生と言うのか! 互いに○○議員と呼べばいいじゃないかという疑問を常に感じています。先生呼称は未だにあることなので、そう呼ばれるたびに恐縮するのですが、議員という職業への敬意を表現されていると理解するようにしています。呼ぶ側にも価値観を個々に感じる部分もあるので、私も先生と呼ぶ相手は少なくありません。

 先の選挙で青山繁晴参議院議員の演説を聴く機会があり、それは数号前のブログに書きました。ここで青山氏が言っていたことにこんなことが。
「政治家は先生ではありません。民主主義制度において選挙で選んでいただいた議員は、国民の代理人あるいは代理者であって先生ではないんですよ」 
 そこで思うことは代議士という言葉がありますが、これは衆議院議員だけに用いられる呼称だということをご存じですか? なぜなのでしょうか。この代議士を少しいじって代議員という言葉だと青山氏の考え方に通じ、全ての議員が代議員でいいのではないかと思いますがいかがなものでしょうか。また選良という言葉がありますが、その呼称も国民市民の為になる仕事をして本当の選良なのだということではないかと思います。
 議員を先生と呼ぶことへの疑問を書きましたが、少し理屈っぽくなってしまったかもしれません。個人的なお願いとして、枝久保さん、あるいは枝さん呼称でよろしくお願いいたします。

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