毎年の幸手市文化祭に合わせて刊行してきた文芸幸手が第20号をもってその幕を閉じることとなった。文字通り、幸手の文芸文化を代表する文芸誌の終刊は寂しいという感覚より残念という思いの方が強い。物事に広く感じることだが、本来、20年というのは黎明期から成長期、発展期を経て、次なる照準を30年に伸延し、更なる発展を期す円熟期といった範疇にあるように思う。
しかし、文芸幸手においては、運営委員かつ選定選評者の皆さんの高齢化が、終刊という結論を選択せざるを得なかったと、当事者の何人かから伺った。
多数寄せられる投稿の全てを読み込み、選定選評するのには一晩程度の徹夜ではとても困難だという。それもそのはずで、毎回かなりの数の投稿が掲載されないというから、それこそ責任感を背負いながらつぶさに読むことへの疲労感は相当なものだと推測できる。投稿は基本一者一点だが、選評は一者多数と考えればその苦労のほどが偲ばれる。
何年か前には、良かれと考えて数文字程度の文字替えをして掲載したところ、お怒りが半端ではなかった投稿者がいらしたという。一言確認すればよかった話かもしれないが、そんな必死の感覚で選定選評する状況が20年と考えると、運営委員の皆さんは円熟期を超え限界期に達していたと理解し、労をねぎらって差し上げたくなる。今は、刊行にご尽力された先生方にお疲れ様でしたという言葉しか見当たらない。
ところで、小生も第15号から最終20号までの6年にわたり随筆らしき?ものを掲載していただいた。
第15号「日本人の心根とは」・・・49行
第16号「平和への鎮魂」・・・・・72行
第17号「戦後70年に想う」・・・・79行
第18号「尊徳考」・・・・・・・・91行
第19号「読書のススメ」・・・・・90行
第20号「友ありて」・・・・・・・95行
1行30文字、24行が2段で1頁だから、2頁で96行2880文字になる。最大で原稿用紙7枚分になる文字量に気力を集中するのは並大抵のものではない。ブログでは時折「えださんのブログは文字が多いね」とご指摘をいただくが、勝手気ままに書くブログと違い、写真や挿し絵は幸手の芸術文化の粋が寄せ合う幸手市唯一の市民総合文芸誌の高尚さについていくのがやっとと思いつつディスプレイとキーボードに向かったものだ。
この機会を頂いたのは、文芸幸手の2代目会長の長須房次郎先生と3代目会長の石塚順子さんに「自分史の会」でお世話になり、投稿を進められたことがきっかけでした。「自分史の会」はしばらく前に解散したが、定期的に集まり、その都度自作を持ち寄ることへの負担感が強くなっていったと自分自身を振り返っている。もっとも遅く会の端っこに加えさせていただいた小生としては、幸手の文芸世界にかかわりを持たせていただいた最初のことだったので、ちょくちょくアドバイスをくれた物故メンバーの方をはじめ感謝の思いとともに懐かしさが今だに強く残っている。
15から17号では戦争を基点にして日本人の心根にある優しさや勤勉性を記した。次の尊徳考は、茨城にある二宮尊徳記念館を訪ねて深まった思いを綴り、その記念館へのお誘いをいただいた大先輩からお借りした2つの大書に触れつつ、尊敬する渋澤栄一に関連しての感想が19号。そして、人生最大の友に拘わる友達考を最後に。
実は、16号の平和への鎮魂はこの友が住む近くにある知覧特攻平和会館を案内してもらって感じたことを書いたもので、この施設が平和の尊さを涙を誘うほどに訴える施設であるのに、戦争を賛美するかのように評するうがった思考があることへの反発心が書かせた。
毎回の出稿に際して、題材をアドバイスしてくれたり、現地訪問に同行していただいた市内の大先輩にはこの場を借りて感謝申し上げたいと思います。会うたびにいつも背中を押していただくこの御仁には、いつまでもお元気でと願うのがせめてもの小生の恩返しです。
また、いつの日か「文芸幸手」の復活を願い、この号を閉めることといたします。ありがとうございました。