昨日書いた№3018で幸手駅舎新設について30億円かけてまで優先して進める事業かどうかが疑問であることを書いた。単年度のみならず複数年度にわたって予算措置に余裕があるならまだしも幸手市は今や駅舎事業の影響から困窮財政と言ってもよい状況にある。ひと時、30億円近くまで積みあがった財政調整基金が8億円を割ったという。また、今年度の地方交付税は復興予算がらみもあって相対的に減額されることが発表されている。29年度の幸手市に対する普通交付税は22億27百万円で、30年度は20億91百万円である。自治体別に異なるものの来年度増加することは期待できない。万が一、数少ない増額自治体になったとすれば、すなわち財政窮乏の街を意味する。駅舎新設が悪いと言っているわけではない。いつまでも今の駅舎でいいわけではないが、何も今30億円かけてまで行う事業かどうかを憂慮すべきなのだ。そこで、今少し関連することを書いてみたい。
災害復興予算の執行率が65%程度に終わっているものの、今年も関西地震、西日本豪雨災害と大災害が発生しており、更なる復興予算の上積みは待ったなしである。これも地方交付税減額の理由であろう。
ちなみに、環境省によると西日本豪雨災害での岡山、広島、愛媛の3県で発生したゴミの推計が290万トンにもなるという。一昨年の熊本地震では303万トンだったそうで、これに匹敵する量ということになる。処理費用の概算は776億円という巨額だ。災害の種類はまったく異なるが、東日本大地震でもそうであったように、復興の手始めはゴミの処理から始まることを思えば、早期撤去を望む現地の想いは国頼みにならざるを得ない。国もこれを優先して予算配慮するべきであり、一刻の猶予も無いという状況に近い。
ところが・・・かたや、2015年の関東・東北豪雨で鬼怒川の氾濫で茨城県常総市を中心に大きな被害が発生した。これに対して、この災害の原因は河川管理の不備だとして常総市民29名と企業1社によって損害賠償訴訟が起こされた。内容は、堤防の役割を持っていた砂丘の掘削を民間に許可したことと、堤防の地盤沈下を国が放置したというものである。地方の自治体が国に対して訴訟を起こすのはよほどの確信が無い限り難しいが、市民と企業であればそうしたことに懸念を持つことはない。賠償要求額は3億3500万円ということだが、自然災害が大元とは言え、福島のように人災的な要素を持つ部分も十分考えられるわけで、国土全体の防災対策を万全に実行するとなると途方もない時間と金がかかる。起こってみてわかる不備、欠点というものもあるだろうし、訴訟社会とはいえ、災害裁判とは厄介なことになったものだ。これも社会変化の一つと思わざるを得ないが、天候異変はもはや異変ではなく当たり前のこととなりつつある現況は、そうそう行政ものんびりしていてはいけないということだと思うのである。
しかるに、幸手市においても駅舎などの見た目行政に大予算を振り向けるよりは、災害対策により大きな目を向けなければ、ひとたび大災害に見舞われた時、市民との訴訟問題に発展しかねない考えてほしいものだ。要するに、そうした観点から防災対策を考えるべきだと苦言を申し上げたい。駅舎が綺麗になったからといって人口が増えるなどというのは妄想だと思うのである。