今号は「政治は生きている」コラムだが、現実の政治は生きている感を国民に与えてなどいない。モリカケ問題は確かに国民の信頼を裏切り、不信感を募らせたことは間違いない。しかし、この間文科省、財務省、防衛庁などを舞台にした国家官僚の働き手たちによる真っ当とは言えない仕事ぶりが国民の前にさらけ出された。官僚主導による行政の問題点は以前から多くの批判の声があったわけだが、それは知的レベルの高い官僚が作るシナリオが、政治の柱になり過ぎる結果、政治家は官僚だよりになっているという問題だったはずなのだが、モリカケや自衛隊日報問題で浮かび上がったのは、そこまでかと感じるほど手抜きごまかし仕事の実態であった。そこで、さてそれは…誰の責任かとなるのは必定で、霞が関の不始末は政権の責任だとして、野党は政権と安倍総理の責任追及に的をしぼり、途中18日間も国会をサポタージュした。今になって審議不足だと安倍総理をなじってみても、やるべきことをやらずの立場が言えたものではない。マスコミはマスコミで国会外野党になりきって言葉狩りや情報追加調査にあくせくする。それにしても、反日マスコミがこれでもかというほど霞が関の問題を入手することが不思議でならない。もっとも、今まで隠蔽されてきた官僚政治の暗部があぶり出されたことは意義深いと感じるが、野党が国際情勢や国民生活を脇において、ただただモリカケ1本で安倍政権と安倍総理個人に向け、安倍おろしを謀ることが国益に合っているとはとても思えない。その手助けをしているのが反日マスコミ軍団である。手助けと言うよりは主体的役割を担っているとも言えるわけだが、さすがに国会で直接安倍政権と対峙出来るものではないので、盛んに野党の口撃材料つくりに余念がないということである。野党はと言えば審議復帰後も不信任案の連発状態。日本が世界的にも政治貧国の状況にあると考えている国民がどれほどいるかはわからないが、我が国が置かれている国際状況をふまえるならば、モリカケが2年にわたり国会の議論の中心であっていいはずがない。国民ももっと怒るべきだと思うが、マスコミに引きずられる人もいないではない。
モリカケも米朝初会談や日大アメフト部暴力タックルに影を潜めた感があるが、残念ながら一時的なものと思えてならない。かの野党議員たちが金太郎飴のように安倍批判を繰り返す中、今度は「安倍化は許さない」と野党議員が騒いている。安倍化とは??? 日大アメフト部の監督・コーチの釈明は、指導者と言えるシロモノではなく、自己保身が際立つずる賢さしか感じない。そこで、この監督を安倍総理に置き換えてダブって見えると国民に訴え、世の中が責任逃避社会に変質しつつあり、その原因は安倍総理にあると言いたいようだ。しかし、深く考えることなく発する理論だから稚拙としか感じない。人間性が欠如した独裁監督が我が子のような年齢の学生の反骨精神を奪い、従属させるのはたやすいことであろう。まさに恐怖政治である。しかし、総理もしくは政権と霞が関官僚との関係が、この日大アメフト部のような体育会系監督とその部員の関係と同じであるはずがない。何度も書いてきたが憲法改正論議から逃避する材料にモリカケを使い続けるマスコミと野党。日本の憂うべき現状はこのマスコミと野党議員の質の低下も一因にあると言っても過言ではない。政治に関心を呼ぶご意見番的名物議員がいなくなった。
先日の愛媛県知事が披露した文章を公的文章だといきまいた枝野幸男立民党首の確認不足の間違いもひどいが、これを安倍失政再発見とばかりに1・2面で取り上げた新聞にもあきれた。
自衛隊員が路上で会った国会議員を批判した一件もしかりで、私は自衛隊員の言葉は的を得たものだと思っていたが、そのままではすまされなかった。今、なにかと話題の自衛隊員の言葉の根底にあるものを、かの議員の国会言動とからめて深く掘り下げるべきで、間違いでしたと訂正させる力が働くのがおかしいのだ。相手が国会議員だから? マスコミが伝える内容に一喜一憂せず、しっかり見極める癖を強化しなければと思う今日この頃です。
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No.2998 野党論理は政治貧国の証し
2018.05.26