記事一覧

No.2990 鬼畜と幼稚化が世を蝕む

2018.05.01

アイコン

 連休に入ったさなか、またまた心の痛む親の子殺し事件が発生した。大阪市住吉区で起こったこの殺人事件は、どうしても理解の範囲を超える親の異常心理という点で特異性を示す事件である。5階のベランダから2歳の我が子を投げ落とす行為、言い方を変えれば放り投げるという表現の方が適切かもしれぬが、私の頭はグルグル回り、気持ちが悪くなるほどの驚きで充満している。
 いったい、どういう心理になったらそんな鬼畜な行為が出来るのだろうか!
 親の心理をここまでに至らせる詳細な事情はわからないが、瞬間激情型の親が増えているのか、陰湿チクチク型なのか、いずれにしても子を持つ資格を本質的に持ち得ていない人間性だったとしか理解できないのだ。子育てノイローゼという言葉がこうした事件の際に紙面に踊ることがよくあるが、出産も子育てもそんなに簡単なことではないという自覚があってこそ人の親になることが出来ると思うのだが、出産は叶わず、日々の子育てもお任せ状態であった小生の考え方は間違っているのだろうか。
 今回の事件はヤングママでもない31歳になる人の道の分別をそれなりに会得しているはずの母親ではないか。29歳にして恵まれた宝をこれほどむごい方法で葬ることがよく出来るものだと我が心理は慟哭が止まらない。世の中総幼稚化という言葉もあるが、正にエキセントリックな感情優先の人間がいかに多くなったかを示す事件なのかもしれない。

 幼稚化というのはいわゆる自己本位という意味で小生はとらえているが、親子の関係とは異なる話として、大人の付き合いの中においても、社会的地位を得た立派な人物と思っていた方が自己主張を譲らず、我が意見が絶対だといってきかない人が時にいる。そうした人の周囲では口角泡を飛ばす論争がちょくちょく起こるが、そのうち、周囲の人たちがその馬鹿馬鹿しさに気づいて必要以上に言葉を発しなくなる。本人がそれに気が付かないとそれまで築いてきた組織的人間関係は砂上の楼閣はオーバーにしても徐々に崩れ始め、心のつながらない見せかけのものへと変質する。分別ある大人の社会でも理由はいろいろあるにせよ、過去の出来事への私怨を根に怨つ単純な感情が先立ち、個人を対象にしたネチネチした狡猾な嫌がらせが世のあちこちでけっこう起きているものと思う。
 もっと単純な話として、高齢者施設で介護士が入居者を虐待する事件が後を絶たないが、これは介護士の人間性だけが問われる問題ではなく、介護士を見下す高齢者が多いことも原因として大いにあると小生は感じている。それでなくとも介護士という仕事はストレスの溜まりやすい職業である。年上だから、お年寄りだから、弱者だからという世間一般の見方に順ずる仕事の在り方は精神的疲労感をどれほど蓄積させるだろうか。経験としてこうした施設に行くたびに介護士に言いたい放題の入居者による逆虐待の現場を見ている。好々爺という言葉があるが、可愛がられるお年寄りになるどころか、加齢に比例してますます口悪く、人に威張り散らす御仁は少なくないようだ。
 よく当ブログで書くことだが、改めて謙虚、協調、忍耐、道徳といった文言を対人間関係という観点においてじっくり噛み締めてみる必要が、今の日本の社会全体にあると感じる今日この頃である。