降りましたねー! 毎度のことながら積雪10cmにもなると大騒動となる関東地区。予報の精度も高まって1週間近く前から今日の雪は予告されていたのだが・・・電車は平常通りに動かすことは出来ないのだろうか。車で出かける人がいかに多いことか。人間社会はつくづく自然に脆いと思うが、浅はかな人が少なく無いというのもつくづくわかる。
今朝の朝刊にある大企業の一面広告がカラーで掲載された。そのキャッチは次のようなものだった。
会社説明会で、どの企業も「グローバル」って言いますが、結局「グローバル」って何ですか?
そして、その下段に
「英語を話す」「海外で働く」だけでないのは確かです
と注釈がつき、さらに下に数行の小さな文字の企業アピールをグローバルにからめて示している。
最下段に、人を、想う力。街を、想う力。○○○○
この会社は特定の地区における大手不動産企業として知られるが、その伝統ある地区をさらに日本への進出を図る海外企業や、海外展開を目指す日本のベンチャーへの事業開発支援をし、さらにグローバルな活気にあふれたビジネスと文化交流の世界的拠点エリアに進化させる我こそがグローバル企業であると言いたいようなイメージ広告と見受ける。ゆえに開かれた心と発想力を持つグローバルな人材を求めるというのが副次的狙いとしてあるのだろう。
これを読んでふと常日頃から考えている疑問をあらためて考えさせられた。疑問とは正にこの広告にあるグローバルって何だ?ということであり、グローバル人間とはなんだ?なのである。英語を話せる人とか海外で活躍する人と理解している人が多いのではないかと思う。この広告ではそれだけではないのは確かと語るが、かといって、世界的ビジネス拠点がグローバルとも理解できないし、それを手がける企業がグローバルとも思えない。そういう意味では、すでに世界の大都市は皆グローバルエリアでありグローバル都市と定義付けることは出来る。グローバル=地球全体と言うのは辞書的理解でしかない。
英語が話せればグローバルなのか、いや、英語の話せる人でも昨今の品の無い日本語を語り、敬語や謙譲語といった正しい日本語を理解していない人は、日本という原点から考えて本質的にはグローバルとは言えない。
つまり、日本人として、まずは国内にあって他の見本足りうる高潔な品性と品格を備えずして世界に伍して活躍するグローバル人間とは言わないというのが私の理解である。日本人としての矜持やアイデンティティーを有した上で人や国あるいは動物なども対象にした「相手を思う心」を持たずにグローバルだなどとはとんでもないことであり、留学とか、海外出張だけでグローバル人間と思うのは大きな誤解である。また、語学に長けていればグローバルといった考え方があるようだが、それは錯覚か勘違いというものだ。
広告にある「人を想う力」 この言葉を深く理解し、実践できている人が次のグローバルステージに上がる資格を有しているものと思うがいかがなものだろうか。
さて、ここまで口うるさ型と思われる内容を書いてきてふと思った。少し前まで「マルチ人間」という言葉をよく耳にしたが「グローバル人間」との違いを自分なりに解釈するとグローバルの理解がしやすい感じがする。さて?