いよいよ選挙戦も終盤戦に向かいます。ここまでの情勢は与党有利と報じるメディアが多いようですが、その真意はまさしくまちまちであると思われます。安倍倒閣支援のメディアは、いわゆる「褒め殺し」戦略に方向転換したのだろうと感じます。もっともTBSのサンモニの酷さは相変わらずといったところです。
ところで埼玉14選挙区の三ツ林ひろみ候補の街頭演説における内容の素晴らしさは輝いています。防災、農業、医療といった分野における今後の国政の取り組み方がわかりやすく、それこそ希望を感じさせる具体性にあふれています。今日は地元幸手の公民館での演説会でしたが、いつもの熱い魂の叫びにも近い話しぶりとは違う落ち着いた口調での内容の熱い近未来構想をじっくりと聴かせてくれました。
政治ばかりは当選しても野党にいては予算を動かせるわけではありませんし、地域発展に貢献することはなかなか難しいと言えます。イデオロギーは政治に関係ないと枝野氏などが発言していますが、自由社会においてあらゆる自由と安心安全に包まれる生活を堅持するためには、それを委託できないイデオロギーというのは確実にあるわけです、なぜなら国政・国会は国民の生活の安寧を考慮し、それを守る法律を構成する立法府だからです。国民の安寧は真の意味での民主主義を唱える政党でこそ実現出来ると言っても過言ではありません。
そして、そこには政党が持つイデオロギーとは別に政治家個人が持つイデオロギーに近い信念の存在が欠かせません。当選しなければ政治が出来ないという理由は私も当事者としてわからないではありませんが、当選できる可能性を吟味し、政党を渡り歩く候補者は信念も魂もかなぐり捨てるという点から信頼出来ない人物像と私は確信しています。離党には正当な理由が感じられる場合もあります。近い例で言えば、都議会都民ファーストを先日離党した二人の議員の場合です。しかも、まだ若いうちならそれも良しという面もあるでしょうが、県議を長くやり、国政に出るにあたり政党を変え、選挙のたびに所属を変える議員は本質的に前回投票してくれた有権者を裏切っていることに変わりはありません。
もっとも、地方政治にはイデオロギーは無きがごとしです。条例制定権はあっても立法府ではありません。首長選挙の立候補者の多くが無所属で名乗りを上げるのもそうしたことが原因だろうと思います。
話は変わりますが、今回の選挙戦でこんなことがありました。別に珍しいことではないと思いますが、私はこうしたことが不思議でなりません。昨日折込された選挙広報をご覧になられた方は多いと思いますが、14選挙区の希望の党候補をお願いしますとして杉戸、三郷、八潮の首長が名を連ねていました。このうちのある首長が選挙告示日に三ッ林選挙事務所を激励に訪れ一席応援演説をぶったのです。八方美人も政治の世界には付き物ですが、ここまでとなると私は空いた口がふさがらなくなるのです。
三ッ林候補の政治家としての実力は年々積み重なっていることが演説を聴くたびに理解できます。もちろん実直な人柄も身びいきが言わせるものではありません。私は希望の党の候補者も県議時代に同じ自民党議員として一緒でしたからわかっています。彼が自民党を除名になった時、その審判を下す党の党紀委員会の委員でもありました。
反体制的思考の方も、反自民、反安倍の方にもこれだけは申し上げたいのです。衆議院選挙における小選挙区は正に「人選び」なのです。
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No.2931 埼玉第14選挙区への想い
2017.10.19