ここ数日の暑さはまだ真夏だという意識が薄いこともあってか逆に身体には辛いものがある。心の準備が整っていないというのはどんな場合でも厳しい。梅雨入り前なのでジメジメ感は少ないが肌にくるジリジリ感は真夏のそれと変わらない。
同じアツサでも選挙は熱く燃える方が良いはずだが、21日の県内2市の市長選は双方ともに寒い選挙戦という結果が投票率に示された。現代選挙は過去最低の投票率というキャッチが当たり前のようになってしまったようだ。とくに首都圏域で行われる首長選挙はお寒い投票率が続いている。
政令指定都市さいたま市の市長選は31.44%と以前の白熱した選挙戦とは大違いの過去最低。県南の和光市長選は35.23%とこれも過去最低。数字的にはどちらの選挙も3選を目指す現職候補が圧倒的な強さを示す結果となった。
新聞では特集を組んで連日のようにさいたま市長選の投票啓発を伝えていた。にもかかわらず過去最低を記録したのはいったいなぜなのか。和光市の場合、埼玉都民が多いというのはあるだろうが、そもそも現職に戦いを挑んだ候補者が勝負にならない得票数だった。結果が見えている選挙戦にあえてチャレンジしたとしか思えない低投票率での低得票数だった。
自治体予算の義務的経費を除く部分を有効に執行することは、現職の最大の優位点であるのは違いはない。巨額の予算執行を正当に市民の受益感に結びつけることが出来たなら、それは評価に必ずやつながると考えるべきであろう。しかし、受益者感覚もまちまちであるという部分に4年毎に受益者の承認をいただく選挙戦の妙味があるはずなのだ。ところが、現代有権者は自分の住む街に関心が少ないのかどうかなかなか投票に行ってくれない。投票権の放棄と言ってもいいだろう。