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No.2841 政務活動費ならぬ正無活動費

2017.01.12

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 県議、市議の政務活動費の不正使用が引きも切らない。まだまだ氷山の一角が表に出たに過ぎないというご意見に、議員経験のある私とて反論の術はない。
まったく困ったものだが、ニュースに取り上げられるたびに我が身を振り返ろうとしない無自覚議員がいるから次から次ということになるのであって、これでは政務活動費ならぬ正無活動費と文字を入れ替えられても仕方がない。
 
 ただ、あえて申し上げたいのは、47都道府県1740自治体に約3万人前後はいると思われる議員の中で、犯罪に等しい不正をしている議員は比率的に高くはないと信じている。ところが、マスコミも大なり小なり議員の動きにはチェック機能を高めに働かせる傾向にあり、それにもかかわらず資質を疑う議員の存在が無くならないことが輪廻の世界のように繰り返され、結果として、従来持たれていた議員先生と崇められたイメージが、もはや過去の遺物になりつつあるということを示している。
 議員など偉くもなんともないというのが自論だが、どうやら時論になってきたようだ。辛いのは、それにより政治不信が広がることだ。政治不信の長期化は国益に良いことはない。

 選挙は厳しいし、当選のために本人はあらん限りの努力をする(しているつもり?)なかには法を犯すヤカラまでいる。負ければすべて自分の不徳のいたすところとなる。しかし、考えるまでもなくここまでは自らの思いに忠実に挑戦しただけのことであって、当選したからといって人間性が高まるわけでもないし、急に人格が上がるわけでもない。またその逆もしかりである。そこに勘違いが生じる。
 偉くもなんともない議員を、有権者や役所の職員が先生先生と奉ってしまうから自分は偉いと勘違いする議員がなくならないということもあるだろう。

 総理や大臣、委員長は役職であるからその呼称で呼ぶのがふさわしいが、国会中継を見ていると質疑の当事者同士で先生と呼び合う光景が多い。これを見て私はいつも違和感を感じている。〇〇議員もしくは委員と呼べばいいではないか!と。
 まあ、良かれ悪しかれ長年培われてきた風土風潮を変えることは優しいことではないが、変えるべくは変えたほうがいいはずである。
 ところで、埼玉県の職員さんの県議に対する腰の低さは徹底している。もちろんそんな職員になめられてはならじと頭ごなしの対応をする県議もいる。筋が通らないことであっても頭ごなしは私には出来ないし、その必要もないと思っている。
 自分はやってないと信念をもって言えても、これだけ全国で同じ議員社会の仲間が税金の不正使用をしている現実に対して、全国の議員が襟を正す動きがどれほどあるだろうか。もうこの手のニュースにはうんざりである。