今年の流行語大賞に「神ってる」が選ばれた。
「想定外の」「考えもしなかった」「驚異的」といった意味合いで緒方監督が発したのかどうかは定かでないが、当の広島鈴木誠也選手は緒方監督に自分の知名度を上げてくれて感謝していますとは対応したものの、言葉の本質的な意味では今一つお気に召さないようだ。活躍して当たり前という選手を目指して頑張りたい・・・そんな思いからなんとなく複雑な思いがしているようだ。
サヨナラ打を放った時、「やっぱり鈴木だー!」「たよりになる鈴木のひと振り!」といった臨場感あふれるアナウンサーの叫び声を出させる選手になりたい・・・それは超一流に登り詰めた証拠でもあり、「神ってる」では微妙に中間選手のように聞こえるということなのだろう。
でも、本人の意思にかかわらず来年も鈴木選手がここという場面で貢献打を打てば、おそらく「やっぱり神ってる鈴木」というフレーズが飛び交うのではないだろうか。それも単年度一過性の流行語で終わる必要はないし、ユーモアとして受け止めればいいのではないかと思う。
ところが、とてもユーモアには感じられない言葉がトップテンに選ばれていることに怒りに近い驚きを感じた。
「保育園落ちた、日本死ね」
これを選ぶ感覚がどうにも釈然としないし悲しい。いったい選考委員はどんな感性を持っているのだろうか。
数日前、このニュースに接した時、私は思わず「自虐的過ぎてセンスがないなー、世界から笑われるぞ、こんな感覚だと」と思わず吐いた。家内も「ひどいわねー」と呆れて一言。
この不明ツィッターを国政の場に持ち込んだ民進党の山尾志保里議員が授賞式に現れ独特の笑顔で応じていたが、彼女の背面に「生涯学習 ユーキャン」のディスプレイが立っていた。なんとも皮肉な言葉の組み合わせにしか感じられなかった。
ユーモアとは、心のゆとりがあってこそ送受信できるもので、くつろぎの感覚を減退させるギスギスした誹謗中傷的言葉は聴く者の心に影を作る。場合によっては言葉の暴力にもなるだろう。日本人が日本死ねと思うこと自体悲しいことだが、万が一日本人が言ったものではないとしたら、これまた悲しいことではないか。
やらせではないかという疑惑もあったのだから、選考対象にすることそのものに問題があったとは言えないだろうか。
この流行語大賞では、毎年、政治に関わる言葉が一つ二つ選ばれるが、昨年は「アベ政治を許さない」というものもあった。過激な政権批判が選ばれる裏事情にいったい何があるのかと思ったら、昨年の選考委員に鳥越俊太郎氏がいたという。
生涯学習を理念とする現代用語の基礎知識自由国民社により、1984年から続くこの言葉のイベントを否定するものではないが、子ども及び青少年教育にふさわしい言葉が選ばれる世の中に戻したいものだ。
このテーマ、フェイスブックでもかなりの書き込みがあり、著名人のものも見られる。政争の具になった忌み汚い言葉がなぜ年間の代表的ユーモアワードに選ばれるのか、そんな思いがかなり共有されているように思う。