大新聞による記事の捏造がまた発生した。企業コンプライアンスで業種を特定化するマスコミコンプライアンスという言葉はあまり聞かないが、平成時代に入ってのマスコミの読者を欺く報道志向は、国や社会の方向性を狂わせかねないと危惧している。実際に、従軍慰安婦問題では国際関係に大きなハードルが設けられたではないか。
平成元年のサンゴ礁落書き事件や、戦後最大のメディア犯罪と評されている昭和57年以降約30年にわたり従軍慰安婦捏造報道を続けた朝日新聞しかり、平成24年には橋下大阪市長に対し、ハシシタのDNAをさかのぼり本性をあぶり出すと題して、同氏を「市議、府議を含めて人間のクズ」「部落」「ヒトラーより下劣」「ファシズム」といったワードで猛烈批判した週間朝日などは代表的な例だろうが、ついでに言えば、言葉の攻撃も朝日系10チャンネルの報道番組で見られたのはキャスター降板につながった。
今回の問題は、文字の暴力が今でも止まないことを愚かにも再燃した。
新聞の過剰報道の裏事情は、中日、東京に限ったことではなく沖縄をはじめいくつかの地方新聞でも見られることで、今の政権や安倍総理個人を叩く姿勢は有権者に真実を伝える報道倫理から大きく逸脱していることが多い。
ことは、中日新聞および東京新聞に掲載された貧困問題に関する記事でのことだが、要するに日本の現代社会の貧困状況はここまで広がっているという内容について、実態にない説明と演出されたカット写真で構成したのである。
なぜ、この問題で捏造する意図が組まれるのだろうかと考えれば、現代社会の貧富の差をデフォルメすることにより、アベノミクス停滞にイメージ付けたいのではないかと推測出来る。
中日の編集局長は行き過ぎの報道を詫び、記者教育の徹底を約束した。社員か、契約委託記者かは別にして、報道の倫理意識と人間の心の問題に起因するものを、子どもでもない相手にそうそう教育出来るものだろうかと思うが、この事件はこれで終止符を打たれる。結局は、言い特、出し得という形に違いない。
こうした場面で感じることとして、詫びれば済むというものではないというのが報道の世界ではないだろうか。攻撃的、煽動的、恣意的・・・もっと言えばイデオロギー分野に乗り込んで社会の歪みを正すかのような仮面の裏に潜む、逆に歪みを増幅せんがごとくの心無い報道は許されるものではない。
日常では、今だ最大の情報ツールとして信頼されている新聞の活字は読者の目に届いた瞬間、かなり重い位置づけを持つことになる。後から取り消そうが一度目にした文字のインパクトは、脳裏から消し去りにくいというヒトの仕組みに入り込む戦略にも感じられるが、いわゆる書いたもの勝ち、言ったもの勝ちという狡猾さが見え隠れする報道はいい加減にやめるべきである。