先週から今週にかけての朝ドラ「とと姉ちゃん」は、昭和30年代の戦後復興期に家電がいかに女性の生活を変えたかに焦点をあてている。思えば、車と家電は生活向上のシンボル的存在だった。
我が家では昭和35年、私が5年生の時に14インチのテレビが狭い茶の間の一員に加わった。
そしてまもなく、目のためにとか画面がくっきりとかのフレコミで、青いガラスの板が画面の前にぶら下げられた。結局、その効能ははっきりせず、テレビブームに踊らされた便乗商品だったのかもしれない。今となるとなつかしい話だが、皆さんの記憶にも刻まれているのではないだろうか。
ところが、洗濯機と冷蔵庫は記憶の走馬灯が回転したまま停止しないのでまったく思い出すことが出来ない。洗濯機など関心が薄かったのだろう。母に対する思い遣りの薄い子どもだったのか! いや、そうではない!
しかし、あなたの暮らしによるテストは消費者を救った。裁判沙汰も覚悟の上の実名公表を花山さんの主張が貫いた。メーカーが怒るのも道理だ。
もちろん、シナリオの原点は創作フィクションだとは理解しているが、時代の在り方という意味で、学校で教わる歴史だけが歴史ではないと感じながら、成り行きを見守っていたが、今朝とうとうドラマの上での結論が出た。
アカバネの洗濯機のプラグネジのメッキが剥離剤で溶け始めた時点で、メーカー側のコスト優先の安全性を欠いた商品コンセプトが判明し、テストの信頼性を勝ち得たあなたの暮らしに軍配が上がった。
主人公が発した「ささやかな幸せを奪っていいはずがない」とメーカー側に突きつける言葉は、現代にも通じる名言ではないかと思う。
企業コンプライアンスが現代の一経済視点になって久しいが、あいも変わらず超がつく一流企業の消費者軽視がやまない。建設、自動車、家電、食品、流通・・・ありとあらゆる業種で競争原理とコスト原理によるコンプライアンス欠如が続く状況。同じ企業が幾度も同じことを繰り返す常態化には呆れるほかはない。
画面には出なかったが、アカバネが安全な製品作りのために会社体制を変えるとのナレーションに、憎たらしい顔つきがピタリとハマった古田新太演じる社長が改心したのかと、なぜかホッとした。
家族間の猟奇殺害事件や若年層の殺人事件など、豊かで便利過ぎた国情に根本の問題があるかどうか、その尺度は不明だが、超一流企業のみならず、今を生きる私たちが見習う「心」の教えが最近の朝ドラにはあるように感じる。
「あさ」には女性の根性を、「とと姉ちゃん」には女性の正義を・・・チャレンジ精神に加えて道徳観に満ち溢れた人を大切にする思いやりまでも!
今日、民主党の代表になった蓮舫さんは・・・さて、素晴らしい政治家の見本になるか、それとも反面教師になるか。
自らを律することをうとんじ、攻める際のストレートな烈情ぶりは鬼かとみまごう民主党女性議員がどうも私は・・・・。
今回の民進党代表選に、蓮舫さんの二重国籍に関する発言の変容ぶり以上に、党自体の自浄能力の無さを再認識した次第。
また軌道がずれたようです。深くお詫びしてこの項終わります。
おやすみなさい!/span>