震災の傷跡が日常生活に大きく残る熊本で、今度は大雨による土砂崩れ等で死者が出る災害が発生した。時間雨量150ミリというのは、とてつもない量である。降ってほしいところに降らず、そっとしておいて欲しいところで暴れる気まぐれゲリラに年々悩まされる度合いが増している。
慎んで亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします!
さて、主張を異にする相手による凶弾に倒れたイギリスのコックス下院議員。国を二分するEU離脱か残留かの国民投票がせまる状況下で、非業の死に至るヒロインとなった。
人の死には様々な原因があるが、国会議員が命懸けで国と国民生活の未来に立ち向かった経過での悲劇。まさに殉職に近いものがある。
比較すること自体が故人に失礼だとは思うが、あえて怒りを込めて言わせていただくなら、舛添某とはてんで比較にならない。
この事件から想像するに、どちらの結果になろうとも長期にわたり国が落ち着かない事態に進む可能性が高い。スコットランド問題も再燃しかねず、ヨーロッパの主導権はドイツ、フランスに移り、イギリスは対等な立場さえ失う可能性がある。両国ともそれほど寛容な目で今回のイギリスを見つめていないだろうし、とくに離脱となると厳しい対応を見せることになるだろう。
そもそも、スコットランドの独立に反対したのに、自らはEU共同体から離脱するというのがいま一つ理解に苦しむところだ。大英帝国としての権威を今の世界状況で示すことに何の意味があるというのか。
イギリスが他の欧州国家27カ国との調和・融和から、それぞれとの個別交渉を必要とする離脱の流れは、欧州だけに限らず、世界に大きな影響をもたらすことは大方の理解でもある。
過去のプライドや古いアインデンティティーに囚われた離脱志向は、結果的には、後悔という二文字を未来に持ち込むことになると思えてならない。
離脱派のリーダーがロンドン市長であることが、なにより、Old RONDON Prideがいびつな方向へと導く所以ではないかと感じるのだ。
庶民を二分する政治状況は、身近なところでは平成の大合併もそうであった。幸手に限らず、全国各地で未だに互いの主張が街を二分したまま、いろいろな場面でそれが顔をのぞかせることがあるという。それは、合併の成否のいかんに拘らずである。けっして良いことではないのだが、人間の感情的なものがむき出しになると、そうした流れに陥りやすい。
選挙のたびに熾烈な二分戦が勃発し、その後遺症で街にあたたか味が消え、市民間にギクシャク感が残るといった例は少なくない。
企業合併でも、真の融合にはそれぞれの企業出身者がいなくなるまで続くという。しかし、そうした痛みをともなうことは世の習いと理解して未来志向を優先することが大切なのではないか。 そんな問題を残されても、困るのはその後の時代を生きる後世の人たちなのだ。
ラグビー発祥の地、グレートブリテン・・・・若く尊い命を犠牲にしたことを国家まとまりのバネにして、国民投票後はノーサイドで再出発することを望んでやまない。