未だocnは復旧半ばのようだ。今回もiPadから。
熊本地震の復旧復興は、余震が止まない状況では思うに任せないというのが実態だろう。復旧復興費に掛かる国費の上積みは激甚災害指定で約束されてはいるが、仮設住宅の建設などとは別の本格的復旧には、まだまだ時を要することになる。
災害救助法により自治体予算の負担はかなり抑えられることにはなるが、全体の計画が見込める状況にないのが、最も辛く不安なことだろう。/span>
ところで、 我が街の上空でも、飛行音を轟かせ、急ぐかのように低空で南に向かう自衛隊機がある。高速道や一般道でも、自衛隊の特殊車両を見掛けることが多い。全国各地の駐屯地から援助に向かう自衛隊の存在を頼もしく思い、気をつけて、よろしく頼みますといった感情で空を仰ぐ。
ところが、健全な野党を志向して合流したはずの民進党は、こぞって熊本地震を政権批判の具にしている。言葉の出だしは、与党野党の仕切りなく協力するところは協力するという枕言葉から入るのだが、それがまやかしの美辞麗句であるのが、民進党の寒々しさを物語っている。
夏の天王山に向けて与党の災害対処能力を批判し、イメージダウンに結びつけたい思考に覆われているのだろう。党首の岡田さんからして紳士然としていないし、貫禄も感じられない。
東日本大震災時に政権を担っていた旧民主党としての教訓はほとんど記憶の彼方にあるようだ。
当時の菅、枝野といった総理、官房長官の不慣れで独善的な対応は、政権が為すべきことの本分を理解できていないことを露呈した。中国漁船による日本船体当たり事件でも国家の体をなさない判断しか出来なかったことと繋がる。
もはや、自衛隊の存在を忌避する状況にはないと思うが、枝野氏の心境変化があるとは思えない。熊本地震を夏の国政選挙の具にして、自民党政権へのレッテル貼りの材料にする姑息な政党になることなく、清新な政党を目指すべきである。
今回の合流が、たとえ選挙目当てのものであっても、この大災害は政争の対象にすることなく純粋に政治家として正対するべきだ。
もっとも、世間に多いこうした苦言にもどこ吹く風、そんな綺麗事は言ってられないというのが本音なのだろう。