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No.2717 幸手市議会を傍聴して

2016.02.25

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 昨日、幸手市議会に出かけた。
 平成15年に市議になる直前の議会を2度ほど傍聴したのと、昨秋の市長選後に1度。それと、過去に鷲宮、久喜、杉戸の各議会を1度づつ傍聴したことがあるが、回数としてはその程度である。
 先日の書き込みで「傍聴のススメ」を説いた手前、まずは自らがという思いが議会に足を向けさせた。
 10時開始早々の傍聴者は男性4、女性6の計10名。以後、増えてはきたものの20名までは届かなかった。

 本議会は一般質問の二日目。中村孝子議員から始まり、小林順一議員、松田雅代議員の質問を拝聴し、執行部の答弁を確認した。基本的に感じることとして、内容そのものはネット中継で見聞きするのと変わりはない。これはライブであろうが、録画であろうが同じはずである。当たり前か!

 議会傍聴の☆メリットとは? また★デメリットはあるのだろうか?
 これは「傍聴市民」「議員」「市長はじめ執行部」の三者三様だが、ここでは傍聴市民にとってどうかというものである。それに、おそらく執行部は傍聴を喜ぶことはないはずなので。

☆1.傍聴者が多ければ、それだけ執行部も議員もプレッシャーを受けることになるので、緊張感が増すことは間違いない。それが議会に臨むにあたっての自己研鑽につながればベストということになるのであろう。

☆2.幸手市の現状、つまり街が活性化してるかどうか、その可能性が感じられるかどうかといったようなことが、市長や執行部の発言だけではない表情仕草、その他ありとあらゆる事象を通して垣間見ることが出来る。
 これはネットではわからない。なぜなら、ネット中継は発言者がズームアップされる関係で、それ以外の人物の動態はほとんどわからない。質問者がいかに厳しい質問をしていても執行部の反応を見ることはできない。

 
☆3.これは議場傍聴でもネット傍聴でも同じだと思うが、議員個々の性格、人柄、資質能力など、すべてとは言わないが、その実態が測り知れる。これは、あくまでも議員本人が発言する姿を見せてのことであるのは言うまでもない。
 一般質問は通告制であるが、質問しない議員もいるし、たまたま傍聴した時に登壇のタイミングでないこともある。

☆4.議会傍聴は一般質問の日に限られたわけではない。「議案に関する質疑日」も定例議会中設けられている。実は、これも通告制なのだが、議案に対するという条件があるので、通告者が少なく1日で終わってしまうことがほとんである。
 また、常任委員会、そして今設置されている特別委員会なども傍聴は可能となっている。部屋が議場と異なる関係で数に限りはあるが、議員は挙手によって何度も質疑できることになっているので、身近に生々しさを感じることはできる。

★1.傍聴には、基本的に静粛性を求める規則がある。撮影・録音といったことも禁止されている。情けない状況があれば、つい声を発したくなる場面も出てくると思うが、それらはもちろん退場対象となる。
 しかし、静かに見聞きしているつもりでも我慢ならない場面が無きにしも非ずなのだ。昨日も執行部の答弁に私自身かなり感じたし、議員への応援言葉も発したくなる。また、その逆で議員に問題を感じることもある。
 こうしたことを理性で抑えるもので、結局はイライラ感やストレスがたまり、人によっては「ひどいなー」とか「ふざけるな!」といったセリフを小さく吐いて議場から去るといった状況も生まれることになる。傍聴後の疲労感がけっこう残るのである。
 いまの幸手市議会は、健康管理上デメリットがあると言えるかもしれない。

★2.1日傍聴するとなると時間の無駄がかなり生じる。休憩時間は昼休憩も含めてほぼ4回。場合によっては暫時休憩などが断続的にあるので、裏で開催されている議会運営委員会などの状況次第で数10分、ひどい時には数時間待たされることもある。もっとも、これは議会がひとつのテーマで紛糾した場合等に限られる。いずれにしても焦燥感や疲労感に襲われる議会が起こりうるということだ。
 ネット視聴であれば、休憩時間などは自分の用事ができる。

 それで、昨日の傍聴の結論は、少し・・いやかなりがっかりさせられた。
自分の市議8年間で、副市長があれほど部長に代わって答弁するという場面はなかった。当時の町田市長はことごとく自らが答弁するという責任を果たしていたし、担当部長もしっかり答弁していた。副市長の発言はほとんど記憶にないくらいである。考えてみれば、今の副市長が総務部長として部長職の皆さんを引っ張っていたのだ。

 ところが、見ているとその副市長は、市長が答弁する際にもほとんどなにがしかのアドバイスを市長に発している。また、部長にもよるが積極的に部長に代わって答弁する姿が目立つ。
 あまり多いので、私なら「副市長に質問しているんじゃない。部長の認識をお聞きしたいので部長答弁してください!」とやるかもしれない。部長職が質問に的確に答えられないようでは、かりにも5万人の市として心もとない。通告質問に答弁書は用意できても、再質問に対する答弁はまさに資質と能力が関わってくるのだ。それは、街の力そのものを意味している。
 執行部が緊張感をもって自己研鑽し、議会準備をした上で議会に臨む必要性は、そういった場面からも感じることなのである。

 市長の答弁場面・・・中村議員に幸手市としての教育方針を質問されて「ここに書かれている通りでございます」と机上の共通資料を指して答弁するにとどまり、次に、教育長に「教育理念」を問うた際、教育長がわかりやすいたとえを含めて自説を披露した。これと同様の質問を中村議員は「市長はこの点についていかがですか?」といった感じで尋ねたのだが、市長曰く「今、教育長が話された内容と同じです」
 顔は見えないが、議員の中にも笑いがあったようだし、傍聴者はため息。
 書かれていることや、他人が発言したものが街のトップの答弁に多いのでは、議会は何のためにあるのかという疑問がわくのは当然であろう。

 議会発言には、アドリブ能力というものも求められる場面が多々ある。それはまったく違う世界のことを問われているのではないのだから、首長としての責任を議会に果たすという指標で考えれば、幾段も物足りない現実として認識せざるを得ない。
 議員と市長の丁々発止の熱い議論を期待はしたいが、「のれんに腕押し」「糠に釘」状態ではなかなか難しいようだ。

 市の執行部に活力を感じない議会を見て、このままではこの街は衰退しかねないと思うと、精神衛生上傍聴もなかなか続くものではない。