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No.2690 年始年末の投げ込み異変

2016.01.05

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 元日から過ごしやすい陽気が続いている。はたしてこれでいいんだろうか?という気がしないではない暖冬異変だが、農業経営者の中には今後の天候になんとなく怖さを感じている方もいる。
 私も、四季折々が一定期間単位で区分されており、それによる北から南それぞれの地域ごとに日本独特の風土風景が構築されていることが、日本の素晴らしさだと思う。しかし、昨今の天候は人命も生活も一呑みにしてしまうほどの破壊力を見せつける。

 それとは無縁の異変ではあるものの、年末から年始にかけて我が家に小さな出来事が発生している。
 それは、幸手市のかなり以前の政治的疑惑を列挙したパソコン文字の紙切れやそれに関係する市議会の議事録の紙片がポスティングされたり、玄関前に置かれているのである。
 どんな意味をもっての行為なのか、私としても考えさせられるわけだが、私に何かを訴えたいのか、それとも、私が知らないだろうとの推測の上で教えたいという主旨なのか・・・。

 
 今になってこうした内容に目を通すと、一昔前の幸手市政の黒い部分の多さに辟易する。投げ込み当事者の思いを推測すると、今の市政との関連において注意を喚起する意味合いがあるやもしれぬというところに落ち着くのだが、いかがなものだろうか。
 先の市長選でも現市政の問題点が浮き彫りになったこともあり、実際、決算不認定というテイタラクな事態に特別委員会が設置されたことなどを考えると、濁りのない市政が進められているとは思えない状況にある。
 完成後は東武鉄道という民間会社の財産になる駅舎新築に、15億円以上の税金を配置することへの問題意識も市民の中にはかなり根強くあるのだ。

 話は変わるが、ここ数日耳にちょくちょく入る話として、昨秋叙勲を受けたある市民の方が、祝賀会を開く予定だとのこと。それはそれで祝い事であるからどうこう言うことはないのだが、場所が帝国ホテルで、発起人が市長だと言うのだ。少なくとも公人である市長が発起人というのが事実であるなら、個人的人間関係に過ぎないとは言い切れないだろうし、政治的配慮が為されていると理解すべきだろう。
 そもそも叙勲自体は市長推薦という中身を骨格として決定に至る制度であるから、推薦者が発起人という直接的関係は避けるほうが・・・とは思うが、余計なお世話でしかない。
 こうした話を私にする方々は、一様に驚きの感を示しながら話すのだが、さて皆さんはどうお感じになられるか。私は、別世界のことと考えるだけ、部外者の対応としてはそれが一番だろうと。
 ただ、私の身近な方の中にも叙勲者はけっこういらっしゃるが、大方は記念品を作るなど地味で落ち着いた祝いに修めているのがほとんどのようで、比較論からすると今時豪勢なことだとは感じるのはたしかだ。

 さて、今日5日の天候はまたまた晴朗のようだが、徐々に下り坂になるようだ。
 五穀豊穣、自然保護、生態系維持が良好な日差しと時折の雨水をなによりの恵みとしていることを思うと、天候というものは、よどみや濁りをもたらすドン天が巡り来ないと、地球も世の中も狂いかねない。
 そう考えたところで、我が家への紙片投げ込みは、金と人事に関わる政治は常に晴朗でなければならないということを、指摘したいのだろうかと思えてきた。