2020東京五輪エンブレムデザインが使用されないこととなった!
当たり前じゃないか! なぜ、もっと早く決断できなかったのか! といった思いでこの問題の結論に注目していた方が多かったのではないだろうか。
1.当初のベルギーのみならず、複数の模倣指摘者が現れる状況となり、素人目にもその可能性を感じるものがほとんどという状況であった。
2.遅くなればなるほど、新デザインが間に合わない可能性と予定進行分の経費が嵩むという時と金の問題があった。
3.国際的批判を受ける中、似非模倣の代表的国家である中国を批判するどころか、また反日活動の材料を与えかねない状況が生まれかけている。
4.落選を経験しての悲願の国家的行事であったにもかかわらず、すでに国立競技場建設予算過剰問題が起きていた。
やはり、3、4の項目に関連した国家の威信・信頼に関わる重大な問題であることは間違いのないところだ。世界の嘲笑が脳裏をよぎる。
中国も韓国も日本を批判できる事態が発生すると、またそれを種に日本バッシングの材料にするだろうし、なにより日本のマスコミが政治がらみの報道ネタにするのは間違いないところだ。
と、その想定通り、テレビ朝日では17時のニュースで「政権への影響が懸念されます」とのたもうた。
舛添知事は「裏切られた思いだ」と何に向かってのことだか意味深な皮肉を語っていた。
当初、佐野氏が言い訳めいた発言をしていたが、28日には類似を認める内容を口にしていたのだ。この時点でも遅いくらいではなかったか。最も、昨日の会見では盗作の意図は一切ないと発言している。
「疑わしきは罰せず」という格言もあるが、罪と罰を問うのは後でもいい。まずは「疑わしきは使わず」は当然の成り行きであると誰しもが感じる情勢にあって、ここまでもめた原因はいったいなんだったのか?
これほどの大イベントであれば、中学生や高校生にまで広く一般参加を求めるような公募方式を採用することは考えられなかったのか。その方がコスト的にも国民の理解は深まったと思われるし、なにより国を挙げてのイベントとして愛されることとなったのではないだろうか。
しかし、こうした模倣は文学、音楽など知的財産権に絡むいろいろな分野で行われているのではないかと疑心暗鬼になるのも嫌なものだ。昨年、大きな問題となったスタップ細胞事件を思い出した。