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No.2642 恩人の死と街への思い

2015.08.31

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 末日とはいえ、まだ8月だというのに朝夕の気温と虫の声はすでに秋。しっとりと路面や庭を濡らす雨も冷たく感じるほど。2週間前とのあまりの違いに、身体がしっくりしないのは自分だけ?

 私には、私が勝手に思っている政治的な意味での恩人ならびに師が数人いる。つまり、幸手に移り住んでからの我が人生後半における方々である。そのうちのお一人が28日に亡くなられた。昨夜の通夜と今日の告別式、ともに参列させていただいた。プライベートなことで恐縮ではありますが、我がメモリアルの位置づけとして少し書き記すこととします。手前ミソな点もあると思いますがご容赦願います。

  
 享年88歳というのは、平成22年7月7日に亡くなった我が母と奇しくも同じである。
 合併論争という街を2分した政治騒乱から始まった私の言動を、常に認めていただいた方だった。
 はじめて訪問した時、「俺はあんたの演説が気に入った。まあ、男が男に惚れるってやつかな」と受ける身にとって最大の賛辞をもらった記憶が熱い。以来、訪れるたびに「あんたと話してると俺も元気をもらったみたいになるよ。俺も歳とったってことかな。まあ男同士の会話ってえのはこうでなくちゃな」といったような気の利いた励ましをいただいたものだ。それからというもの、仕事上で落ち込むと、この師の言葉を聞きたくて訪れた。
 

 脇で背中を丸めて座っている奥様も、笑顔でうなづきながらこの男同士の会話に聞き入っていた。間が空くと「いつも先生のことを話しているんですよ」と癒される言葉を静かに口にし、心をほぐしてくれた。
 その奥様に先立たれてまだまもないのだが、独り身でどうしてるかと思って訪ねると、部屋の中から「おう、先生か。まあ上がんなさい」と。部屋に入ると、座椅子にもたれるでもなく背筋を立てて、満面の笑みで歓迎してくれた。
 知り合って12年ほどだから、付き合いとして長い方ではないが、本音の付き合いに時の長さは無用だと思える師だった。
 聞けば、地元でも若い人たちを集めて地域はもとより幸手市の発展に尽力された方だったのだ。いわば、地域の顔として慕われていた方であった。
 
 4年前の選挙で結果報告に行った時はことのほか嬉しかった様子で、我が事のように喜んでくれた。そして、今回の選挙でも事前事後にわたって家内共々ご意見を聞きに訪れた。家内にもいつも疲れを癒すアドバイスをくれた。そんな人だった。
 私が作る活動報告は欠かさず読んでくれていたようで、「いい処に目をつけてるよ」とか「なんとか頼むよ」といった言葉を時折時折で口にした。私としては読んでくれていること自体が嬉しかったが、それにとどまらなかった。

 今回の県議選でも、私が要望し、間違いなく県が手をつけてくれる予定の事業について、チラシやブログでしっかりと訴えたつもりだが、師は大変納得してくれていた。とくに権現堂整備事業で残っている最大の面積を誇る第二公園の整備計画や商店街通り整備については、「早く実現できるといいなあ」という言葉と一緒に、温かい眼差しが私に向けられた。
 それらの事業は現実にすでに始まっている。また、通常幸手五霞線と呼ばれている幸手境線もいよいよ工事用の取り付け道路の工事が始まりかけていると聞く。昨年から今年にかけて近隣住民や地権者に呼びかけて、説明会を催した道路である。長年停滞していたことを師は把握していた。それもそのはず・・・定年後は北公民館の館長を長くされるなど、幸手をこよなく愛していた人だったのだ。その方が、街の未来を憂いつつ、変貌する部分については、大いに納得することで私の肩を叩いてくれていた。

 「先生よ。あんたは在の人間じゃあないから、古くからのつながりがないのは選挙で厳しいだろうな。でも、真実一路、真っ直ぐ前を向いてぶれずにやってればわかってもらえる時は来る。俺もぶれるこたあないよ」
 先生とあんたを使い分ける話法は独特だったが、なんの違和感も感じなかった。
 香日向から最も遠い農村育ちの師にこうして励まされたのだ。考えてみれば、不器用ゆえにぶれることができない政治家としての才の無さを、まるでわかっていたような言葉だった。
 「ご期待に添えず申し訳ありませんでした」
 「勝負は時の運。選挙ってえのはそういうもんなんだからさ。まだ若いんだから終わったことよりこれからのことを考えればいいんだよ。幸手のためにまだまだ頑張ってくんなきゃ困るしな。奥さんも大変だったね。うんまいもんでも食べさせてもらいなさい(笑)」
 「少し痩せられたんじゃないですか。しっかり食べないとダメですよ」   「いや、隣がちゃんと考えて持ってきてくれるから大丈夫なんだよ」
 入れ歯をカチャカチャさせながら話す笑顔が印象的だった。最後にお会いした時に交わした会話はこんな感じだった。あれから3ヶ月。せっかく猛暑を乗り切ったのに・・・

 「勤修院秋覚暉道居士」
 ありがとうございました。やすらかな旅立ちを願うとともに、慎んでご冥福をお祈り申し上げます。合掌