安倍総理の広島でのあいさつはコピペ?(朝日) とか
安倍総理、被爆者団体に見解の相違と?(毎日) とか
毎年の恒例行事として、核のむごさや核廃絶を訴え、平和の尊さを訴える挨拶と決まっているからこそ、似たような内容になって当然と言えば当然。
これでは朝日が自らの長ーい捏造、嘘、誤報を認めながらも、反省・謝罪の姿勢は皆無を証明しているように感じられてならない。32年もの間、誤報検証ができなかったとは思えず、そのまま放置しておいたことは、メディア・カンパニーとしてのコンプライアンスを問われて当然。
冒頭の朝日の記事に感じるのは、覇権侵略国家との外交問題を筆頭に、日本を取り戻すことに汗水流している安倍総理を、さらに面白おかしく皮肉るかのような低いレベルの記事にしか感じられない。こうした表現が大きな文字で紙面に踊ることそのものが国益を損ねている。
朝日同様、毎日が続いて・・・どうしたものやら!
別の次元では、過去の国政の舵取りに加わった大物政治家たちが、なりふり構わず、中国を讃え、韓国を持ち上げる言葉を発し、安倍政権の足を引っ張っている。いったい、彼らはどの政党に政権を任せ、誰に総理を任せたいのか。
以前にも書いたが、吉田清治の虚言を利用して、金学順という元慰安婦なる韓国人女性をかつぎ、日本政府に賠償訴訟を起こした「福島瑞穂」や、韓国で行われた従軍慰安婦賠償訴訟デモに加わった、民主党政権時の公安委員長「岡崎トミ子」といった反日政治家の言葉を引き出す動きがないのもどうかと思う。ここにも朝日は責任を持つべきであろう。
それにしても、公安委員長にこういう人を任命したことひとつとっても、国の威信、信頼を損ねたことは間違いなく、返す返すも失われた3年が悔やまれる。
いやはや、朝日、毎日等々一部マスコミは、世界外交で疲れている安倍さんの背中を押すでなく、その外交そのものを場あたりだの日和見だのと批判し、疲労の中から発せられる失言を待っているかのような雰囲気さえある。
安倍総理が、今何のために世界外交をしているか、考えればその道理は簡単ではないか。世界各国の中韓、とくに中国との関係がどういった実態になっているのか、それは日本との距離感と比較してどうかなどなど、さらには、そうり自らが出向くことで真の信頼感を復活させ、高めようとしているはずなのだ。
にもかかわらず、よりによって今この時期にトップを貶めたいがための、言葉の揚げ足取りが許されていいのだろうか!
なるほど、思いつくのは、5日、6日のセンセーショナルな記事は、原爆記念日における安倍発言から、左翼リベラル思想のまとまりを促進し、一気呵成に攻めどころにしようと画策した?としたら考え過ぎだろうか。
つまり、戦争の話題が最も高まるこの時期で、自らの記事で注目度を高めたかった・・そのためには捏造を自ら認めても、おつりはくると考えたのか?
それが朝日、毎日のメリットであるならば、国にとって、国民にとってはデメリットでしかないということに多くの国民は気づいている。
議論が足りないとか、国民に説明がたりないとか、お定まりの批判を続ける前に、朝日こそがまだまだ説明責任が足りないのではないだろうか。
ましてや、朝日は海外向けには「誤報だった報道」はしていない。日本としては海外に向けて、朝日の記事の非実態性を知らしめたいところではないのか。
朝毎どちらの新聞社も、日本のマスコミ界をリードしてきた三大新聞社である。これでは、報道レベルそのものを自ら貶めていることになるのではないか。
言葉の揚げ足取りが、まさに国の行く末に関わる形で行われている今の報道の姿は、言論の自由とか、ペンの暴力という表現すら無用なほど稚拙さを感じている。