29日土曜日は暖かい陽気で近くの桜も一気に2分咲き程度まで開花。車も閉めきっていると暑いくらいでした。
26日に2月定例会が閉会し、まもなく県政に送っていただいてから丸3年が経過しようとしています。いろいろなことが思い出されますが、強烈な縦社会にもまれる一期生という立場に思いを深くしながらも、幸手市に思いを馳せた議員活動に邁進してきた3年間でした。
同僚議員はもとより、県庁職員さんとのコミュニケーションにも傾注するという、良好なリレーションシップを思考の基本においての活動は、それなりに理解を得られているのかなという感じがしています。もっとも、人間関係には相性というものも間違いなく存在するので、そのあたりへの配慮、気配りも無い知恵をしぼっての3年でしたねー。
幸手市とのことで言えば、昨年の惣新田地区中島土地改良区で田植え時期直前に発生した水不足問題が印象深い出来事のトップです。2月8日の大雪の日に開催した県政報告会に岩崎副知事が出席してくださって、そこでこの関係の話をしてくれましたが、農業素人の私でも水が無い!ということがどの程度大変なことなのかは理解できます。
無事にこの危機を乗り切って、秋の収穫を終えた後に、我が家に感謝の手紙が届けられた時には、以降の活動への励みを注入された感覚でした。
2番目は、中央通り商店街のバリアフリー化車歩道整備事業です。県道の安心安全整備事業が、私の要望活動で初めて実行され、その後、杉戸境線戸島地区の歩道取り付け工事、さらには、幸手境線の用地買収と新上船戸橋という新しい橋の建設計画などにも力点を置いてきたわけです。
3番目は県営権現堂公園の各種整備事業の実現です。駐車場、トイレ、3号公園、さらには管理事務所の新設も近々に控え、変貌する権現堂公園と言っても過言ではないと思います。
4番目は倉松川の改修工事、さらには権現堂、神明内地区のパイプラインの改良改修工事、神扇地区の湛水防御事業などといったものが、私の活動の結果としてもたらされたと自負しています。
そうそう、4年間塩漬け状態だった県教職員住宅の後処理も、一般質問したことが功を奏し、それから1年半後には一戸建て住宅地に変貌しましたので、充実感はいただきました。
まだまだ頭に描いている幸手市関連の整備事業はありますが、街全体の方向性を決めるのは市長です。県議の立場は幸手市をどうしたいといったことではなく、県と市とのパイプ役としての位置づけが正しい理解なんだろうとあらためて思う今日この頃です。
今後も更なる皆さまのご支援ご理解と、ご意見ご指導をよろしくお願いいたします。