終戦後にもかかわらず、29年もたった一人の戦時密林生活に人生を費やした小野田元少尉が91歳で、その数奇な人生の幕を閉じられた。
長嶋さん引退の年・・入団ではなく引退ですよ。また、その前年には、あのハイセイコーが老若男女の話題をさらい、競馬ブームにわく社会現象が起こり、高度成長に一区切りがつき、第一次オイルショックが起こってもいた。
ついでに言えば、我が家では前年の春に結婚、翌夏に長男が生まれた。そんな昭和49年のこと。
そうした、戦後の高度成長による平和と安寧を謳歌できるようになっていた世情の中、真っ黒に日焼けした小野田さんがその姿を現した。小野田さん、その時51歳になっていた。テレビ画面を通じて日本中に驚きと歓喜の渦が湧き上がった。
誇りある日本兵といった様子で、日本以外でも賞賛の声が・・・いや、そのはずだったが、その半年後には小野田さんはブラジルへ移住することとなる。お兄さんをたよってというのが当時の説明だったと思うが、実際は、小野田さんは「軍国精神を煽り、戦争を美化する亡霊のようだ」という評論批判、巷の声に厭世観を強く感じ、嫌気がさしての移住だったという。
国や家族のために遠い外地で戦死された英霊や、この小野田さんのように、祖国を愛しつつも、戦争が終わっていることもわからないまま死の恐怖の中、食うや食わずの密林生活を強いられた人がいてこその平和ニッポンであることを、認めようとしない社会の一面が生じていた。まさに、これこそが戦争のイメージを抱いて帰国した小野田さんを忌み嫌うという意味において、平和ボケというシロものではなかったのか。
好きで戦争意識のまま無駄な29年を過ごしたわけではない小野田さんになんと非情なことをしたのだろうか。
とくに、小野田さんがその意を強くしたのは、全国から小野田さんに寄せられた寄付金を、靖國神社へ寄付したことに対する世論に対してだった。絶対世論ではなかったものの、小野田さんにとっては誠に受け入れがたいことだったと思う。今は、当時以上に靖國が謂れ無き戦争との関わりを持ち込まれ、英霊も静かな眠りを妨げられている状況だが、小野田さんは何のために、誰のために・・・の思いで29年もの孤独な生活を送っていたのかと思うと、なんと冷たい仕打ちをしたものかと思えてならない。
私は、小野田さんに「帰国後の40年間の人生は幸せだったですか」と聞いてみたかった。愚問かな?
そしてもう一つ「小野田さん、あなたはどこに眠りたいですか?」と問うたなら、「ええ、できれば多くの仲間が眠る靖國に共に眠りたい」という答えが返ってくるような気がするのですが・・・。
私は今後、靖國に奉じる際には小野田さんにも思いを馳せて奉じたいと感じるのですが、小野田さんは靖國には祀られることはありません。
でも、まさに小野田さんこそ最後の英霊ではないのかと思います。
マスコミ各紙が伝える小野田さんの近影は、とても穏やかな優しい笑みを浮かべています。この小野田さんの顔がなんとも言えず素晴らしく感じられてなりません。こんな笑顔が浮かべられる老人になりたい。
小野田さん、ようやくあなたは壮絶な人生の戦いから解き放たれましたね。どうぞ安らかに。合掌