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No.2362 第一回香日向しらさぎ祭り

2013.08.27

ファイル 304-1.jpg 24日の土曜日に行われた幸手市の一地域の祭りを埼玉新聞がかなりの紙面を割いて取り上げてくれました。まずは記事に書かれている内容は、当日の状況をよく伝えてくれていると思います。実は、この山車がこの祭りに大きく関わっているものですから少々の山車の由来を・・・。

 実は設立以来、私が代表をさせていただいている会に香日向ボランティアクラブという会があります。日頃は地域のタウンパトロールや、子供たちの登校時パトロール、さらには地域活性化や市内交流への一助という新興住宅地ならではの活動を目的にしています。ですから小学校や子どもたちとの交流も深く、それなりの認知を得ている会ではあるのです。
 ところが、そうした地域も25年ほどを経て、世代が深まり、子どもたちの数も激減しました。最盛時650人もいた児童数が80名前後にまで激減したことから、その香日向小学校が昨年の3月で廃校になることが決まったのが2年半ほど前のことです。ならば、子どもたちの記憶に残る小学校生活の一端になればとの思いで、ボランティアクラブが作製にとりかかったのが一昨年の夏のこと。それが今回のこの山車というわけです。当時の児童たちの思いが書かれた短冊も提灯にぶらさがったままです。

 この会は60から70歳代のメンバーが主体で構成されている40名ほどのクラブですが、80歳代のメンバーも数人おりまして、その80を超える方で、腕に覚えのある大塚操さん(新聞掲載)と佐久間與さんのお二人が基軸となって、設計から製造までされたものです。他のメンバーが作業助手とか差し入れ応援などをしたことも含めればクラブの創意がこもった「夢の手造り山車」ではないかと感慨深く私自身は考えています。まさに汗と涙が入り混じった山車なのです。
 真夏の盛りにクーラーも扇風機もない小学校の体育倉庫を借りて行われた作業は、とても厳しいものだったと思いますが、子どもたちの為ならという一途な思いは、環境劣悪、予算不足、道具不足という条件を克服して完成にこぎつけたのです。
 しかしながら、その完成した一昨年の小学校での香日向祭りでは公道を引くという陽の目をみることが叶わず、昨年は小学校が無くなったこともあって、眠りに入っていた山車・・・。

 10数年続けてきた香日向祭りも学校の廃校という事情もあって、今年やむなく中止ということになったわけですが、運動会をはじめいくつかのイベントを含め、地域最大のイベントまでが無くなるのは寂しいということから、今回「第一回しらさぎ祭り」という形で細々ながらも、「小さな活気」にあふれた祭りが行われたのです。しらさぎの名称は、香日向小学校の校章を由来とするもので、この校章も当地区が誕生の折に一住民の方が考案されたものです。山車のテッペンにこの校章が飾られています。

 山車に関わるボランティアクラブ、今回の企画の先頭に立った野村さんをはじめとするダンディーズソフトボールクラブ、並びに体協香日向支部とよさこい「舞香」をはじめとするその構成団体の皆さん、そして各丁自治会のご支援等々・・・地域の力が、まずは地域再生への足がかりを作ったものと実感できるものでした。それと、暑い中、高須賀から参加していただいた伝統芸能「大杉ばやし」の皆さんには本当に感謝感謝です。「舞香」と「大杉ばやし」の存在は大きな盛り上がりを導いてくれました。参加した子どもたちにも大いに喜んでもらえたことと思います。
 こどもたちの屈託のない顔から私たち大人が教えられることって、たーくさんあるものですねー! 短日の祭りが経済的に街を潤すということは生易しいことではないというより不可能に近いかもしれませんが、人の心を元気づけてくれるという意味では大きなものがあります。
 来年はさらに参加者が増えることを願ってやみません。